2017年01月04日

結婚以来初めて他所で迎えた正月

中学校の頃から地元ではなく生まれ故郷の都内の学校に通学し、その後高校、大学と自宅から通っていた。
 
特に裕福な家庭ではなかったが、当時の感覚からすれば、「上中下」のランクでは「中の中」で、大方の日本人が感じていた生活水準だったかもしれない。
 
そんな事情もあったのか、正月に遠地に外出することはなく、祖父母が健在のころは父親の実家に正月2日に家族で出かける程度であった。
 
学生になってサッカー部の先輩の家に大晦日に集合し年越し大宴会をやって、翌元旦には今は無き国立競技場で行われるサッカー天皇杯決勝戦を仲間と観戦することが1年の始まりであった。
 
会社人になってからは、先輩たちと一緒に新年の挨拶代わりに麻雀が大好きな上司の家に行くこともあった。
 
それでも最近の若者のように年末年始にかけてのスキーツァーなんてことはしなかった。
 
20代後半で結婚したのだが、事前に明確に相手に告げもしないで、新婚旅行から帰宅した翌日から両親との同居生活が始まった。
 
3年後に長女が誕生した頃、ポツリとオバサンがこんなことを漏らしたことを今でも覚えている。 
 
「最初の1週間位はご両親の家に同居して、その後アパートなんかに引っ越すものと思っていた」
 
その後、子どもたちが成長し、わが家を巣立ち、2010年の年末から長女は孫を連れて実家にやってきた。
 
当時はオジサンの父は他界し、母は認知症が出始めた頃であった。
 
母が下肢麻痺で車椅子生活になった頃から、年末は母を近くの特養の施設にショートステイさせていた。
 
そして母が3年待った特養に入居した年の年末からは、長女は2人の孫と夫を引き連れて、自分の家の冷蔵庫をカラッポにして乗り込んできた。
 
数年後息子も結婚前の若い女性を連れて年末年始を我が家で過ごすようになった。
 
その間の食事は当然、オバサン1人が面倒を見ていた。
 
飲み尽くし、食べ尽くし状態で子どもたちは年明けに帰るパターンが数年続いた。 
 
息子が結婚し昨年2月に孫が誕生し、娘一家4人と息子一家3人となり、昨年末には狭い我が家が一気に9人となる危険性が予想された。
 
すでにオバサンも決して若くはなかった。
 
一日中立ち通しで孫たちとその両親の面倒を一手に見なければならず、座る場所も暇もなかった。
 
そして遂に昨年10月頃、それまでの38年間も同居を続けさせてしまったお詫びも兼ねて、夫婦で年末脱出する計画を立て始めた。
 
最初は大型客船でクルージングの旅という大胆な発想から資料を集めたが、すべて日程どころか旅費が折り合わなかった。
 
それならばと、不思議なことに夫婦一緒には乗ったことがなかった新幹線を使った旅を探して、オバサンが半世紀前に家族で訪れたらしい伊勢志摩方面と決めた。  
 
出発は12月30日。
 
名古屋まで新幹線で行き、そこから近鉄特急に乗り三重県に入る。
 
その日の宿泊地は鳥羽で鳥羽湾が一望できるスパ&リゾートホテルだった。
 
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夕食はフランス料理のフルコースで、飲んだ白ワインも赤ワインもいつも口にするものとは全くの別物であった。
 
翌日は鳥羽駅前から大型湾内遊覧船ではなく、街頭に立っていた客引きの口車に乗せられ、貸切遊覧船に乗ってしまった。
 
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乗客はオジサン夫婦だけなので、船を追っかけてくるカモメたちを独占することができた。
 
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元旦は鳥羽から伊勢に移動して善男善女たちと一緒に通称伊勢神宮と呼ばれる・内宮に出かけた。
 
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【板垣南御門目指しての行列】

 
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【板垣南御門へは1時間半待ちとか】

 
オジサンは仏教徒でもなくましてや神話にもとづく神道には全く興味がないのだが、正宮以外にも複数の別宮に祀る神々に御賽銭を捧げ参拝する老若男女立を見ると、つくづく「神にもすがる」思いの人が多いことが良く分かる。
 
集められた奉納金とか賽銭党の神社の売り上げには一切税金がかからず、神道政治連盟を通して安倍政権に献金されるということをどれほどの人たちが分かっているのだろうか、とあらぬ邪心を抱いてしまった。
 
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2日は定番の夫婦岩巡り。
 
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そこまで行く参道から夫婦岩までは、オバサンによれば半世紀前とは全く趣が変わっていたという。  
  
帰り道に「赤福・二見支店」に寄り、オバサンに付き合って抹茶セットを食べることになってしまった。
 
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伊勢駅前の「Japanese Hotel」では2晩連続で会席料理を堪能したが、朝食から「温泉湯豆腐」が先付として出るなど、少々オジサンの胃袋にはオーバーフロー気味であった。 
 
たっぷり温泉に浸かりたっぷり普段は食べられない食材を味わって3日の昼前には帰途に就いたのだが、近鉄特急の社内の電光掲示板でこんなニュースを見て驚き一気に現実の世界に引き戻されてしまった。
 
<病院でもマイナンバーカード、保険証代わりに>
 2017年01月03日 07時54分 讀賣新聞
 政府は、2018年度にマイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにする方針を固めた。
 患者の本人確認を迅速にし、医療事務の負担を軽減するとともに、カードの普及を図る。厚生労働省が17年度当初予算案に、システム構築の関連費用などとして243億円を計上した。
 マイナンバーカードへの対応が整った医療機関では、専用機にカードを通せば、保険証がなくても診察や薬の処方を受けられるようになる。医療機関から診療報酬の請求を受ける「審査支払機関」が、健康保険組合などの委託を受け、システム上で保険の資格確認ができるようにしておき、医療機関からの照会に答える仕組みだ。
 医療機関は、転職や離職などに伴って失効した保険証が示されてもすぐに分からず、後で失効が判明するケースも少なくない。患者が加入している保険の種類が瞬時に確認できれば、こうした事態を防ぐことができる。
 
このニュースは調べてみると讀賣新聞のスクープらしく、「政府が方針を固めた」程度なので明らかに政権側からのリークであろう。
 
それにしても、早くもマイナンバーで極めて微妙な個人情報を収集しようということなのか。
 
マイナンバーの適用範囲は、社会保障、税金、災害対策の3分野のはずだった。 
  
社会保障では、各種年金記録の管理や、雇用保険や福祉などをスムーズかつ公正なものにするために活用され、税金については、マイナンバーで所得を明確に管理することで、公平に税金を徴収できるようなシステムの構築が期待されている。 
 
まさにマイナンバーカードは個人情報の宝庫になるわけであり、安易に他人に見せるものではないというのが原則である。
 
マイナンバーに反対している人たちは、必要とされる情報漏洩を防ぐ完璧なセキュリティーシステムなどは不可能であり、果たして今後保険証代わりに個人のマイナンバーを確認する個人病院などにそのような厳重な管理体制が施せるのか疑問である。
 
マイナンバーカードの発行ですら手間取っていた自治体が多くあったが、情報漏洩は内部からが最も多く、民間の病院で情報漏洩がが発覚したらその影響は計り知れないことになる。
 
現段階ではマイナンバー提示は義務ではなく、提示しないことによる罰則もない。
 
余程のことがない限りは多くの勤労者たちが無視することによって、あの住基ネットと同様いずれ形骸化して消滅していくのではないだろうか、とオジサンは思う。  

posted by 定年オジサン at 13:32| 神奈川 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | マイナンバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あけましておめでとうございます。ときどき訪問しております。

結婚して初めて迎えたよそでの正月。ぼくもいずれそうしたいです。今年もいい記事出しを楽しみにしております。

Posted by ホームズ事務所 at 2017年01月04日 15:27
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