2017年05月03日

施行70年 日本国憲法 5・3憲法集会

昨年の参院選は32の1人区にすべて野党統一候補が立ち、結果は3年前には2人しか当選しなかった1人区に11人が当選し、飛躍的な前進という評価もあったが戦後4番目という低い投票率もあり改憲勢力が参議院で3分の2議席を占め、衆参両院で憲法改正の発議を可能にさせてしまった。
 
護憲派からすれば、いつでも改憲案、それも自民党案をベースの「壊憲案」が発議されるのではと警戒心がより一層高まった。
 
衆院で憲法審査会が始まったが、メンバーには前身の衆院憲法調査会からつながりのある顔ぶれがそろい、互いに気心が知れている顔ぶれがいる。

当時の調査会長の中山太郎元外相は意見表明の時間を少数会派にも平等に配分し、「中山方式」と呼ばれる伝統は憲法審にも引き継がれている。
 
ただ、当時は国政選挙のたびに自民党と民主党が「2大政党」として政権を争っていたので、憲法調査会に政争が持ち込まれたら議論が停滞すると懸念した自民党が、中山方式を許容したともいえる。
 
これに対し、国会では今、改憲に前向きな勢力が衆参両院で3分の2を超える議席を持ち、改憲案を発議できる環境にあるにもかかわらず、自民党が民進党の協力を期待するのは、その先の国民投票をにらんでいるからだという。
 
ある自民党幹部は「たまたま『3分の2』を取れたから改正してしまえというわけにはいかない」と語る。
 
同党には、1回目の国民投票で失敗したら改憲は難しくなるという危機感が強いらしい。
 
3月の自民党大会で安倍晋三首相は「自民党は憲法改正の発議に向けて、議論をリードしていく。それこそが歴史的使命ではないか」と訴えたが、思い描く改憲のスケジュールに言及したわけではなかった。
 
国会が衆参各院の3分の2以上の賛成で改憲案を発議すると、国民投票法に基づき、衆参両院議員10人ずつによる「国民投票広報協議会」が設置される。
 
設置後に衆院が解散されたら、衆院側は現職議員でなくなるが、法律上の問題はないのだが、協議会の実務に支障が出る可能性はあり、この点を「国民投票法が国政選挙との同時実施を想定していない証拠だ」と指摘する専門家もいる。
 
また、発議から国民投票まで60〜180日の周知期間について、与党内では「初回は180日が望ましい」という見方が多い。
 
国政選挙を避けながら十分な周知期間を取ろうとすれば、国民投票の時期はかなり限定される。
 
<改憲国民投票 早くて五輪後 与党も「国政選挙と分離」>
 毎日新聞 2017年5月2日 09時39分
20170503kongonoseijinittei.jpg
 国会が今後、憲法改正案を発議した場合、初めての国民投票は国政選挙と切り離して実施される見通しになった。複数の自民党関係者が明らかにした。次期衆院選は2018年12月までに行われ、19年夏には参院選がある。一方、国会の憲法審査会では論点整理が始まったばかりで、改憲項目を絞り込むめどは立っていない。国民投票は20年夏の東京五輪・パラリンピック後になる可能性が高い。
 就任以来、改憲に意欲を示してきた安倍晋三首相は来年9月の自民党総裁選でさらに3年の任期を確保したうえで、国民投票の時機を探ることになりそうだ。
 憲法第96条は国民投票について、単独実施と国政選挙との同時実施の両方を認めている。しかし、00年に設置された衆院憲法調査会(中山太郎会長)では「国民投票と国政選挙を一緒に実施すべきではない」という認識で与野党の委員が一致した。
(1)政権を争う国政選挙と改憲の賛否を問う国民投票は性質が違う
(2)規制が多い選挙運動と、原則自由であるべき国民投票運動の調整が難しい−−などが理由だった。
 その後、自民・公明両党と民主党(当時)はそれぞれ、議員立法で国民投票法案を国会に提出。両案を審議した06年の衆院憲法調査特別委員会で、民主党の質問に対し、自民党は「同時実施を禁止する規定を置いているわけではないが、国会の政治的判断で担保する」と答弁した。
 法案提出者の一人だった自民党の保岡興治憲法改正推進本部長は「憲法調査会以来、議論の方向性ははっきりしている」と語る。中山氏も毎日新聞のインタビューに「国民に改正の全容が見えやすい。国政選挙とは別にすべきだ」と述べた。
 国会が発議するまでには
(1)改正項目の絞り込み
(2)それに基づく改正原案の作成
(3)衆参両院の憲法審での原案の審査
−−という手順が必要だ。特に両院の憲法審と本会議で議決する原案の審査は「一国会では不十分だ」(与党関係者)という。国政選挙以外にも、19年10月には消費税率10%への引き上げが予定されている。増税は政権への逆風になるとみられ、19年後半から20年前半の国民投票は現状では想定しにくい。
 
このタイトな日程の合間をくぐって国民投票の周知期間を180日(6か月)取るとすれば、自ずと東京五輪以降しかなく、2018年に自民党総裁の再選を狙う安倍晋三首相にとっては、思い通りの改憲をして花道を飾るというストーリーならば、2020年後半に国民投票となる可能性が高まってくる。
 
もっとも政治の世界は一寸先が闇であり、現在のドミノ辞任恐怖症に怯える安倍内閣もこの先いつまでもつかは誰もわからない。 
 
施行されてから70年目の日本国憲法なのだが、それは70年間も一度も改憲されてこなかったわけであり、それなりの理由がある。 
 
歴史社会学者・小熊英二がその理由を解説していた。 
 
<日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二>
 2017年4月27日05時00分 朝日新聞DIGITAL
 月刊誌が自民・民進・公明・維新の4党に憲法観を聞いた。各党とも、「憲法はいまの日本の姿に見事に定着しています」(保岡興治・自民党憲法改正推進本部長)という点では、ほぼ共通しているようだ。
 だが一方で、時代の変化に応じた改正が必要だという認識でも、4党は共通している。各党が挙げている改正点は、9条を別にすると、環境権、地方自治、緊急事態対応、合区解消、教育無償化、首相の解散権などだ。
 とはいえ上記の諸問題の多くは、改憲せずとも法律の改正で対応できる。総じて「これは急いで改憲しないと困る――といった具体的な提案はどの党からも出ていない。変えたほうが望ましいといった議論があるのみ」(枝野幸男・民進党憲法調査会長)なのだ。
    *
 実はこうした状態は、今に始まったものではない。敗戦直後から、憲法の不備を指摘する意見は多かった。それでも改憲は実現しなかったし、また実現しなくても大きな問題はなかった。
 その理由は何だろうか。改憲への反対が強かったこととは別の理由として、ケネス・盛・マッケルウェインは、日本国憲法の特性を指摘する。
 実は日本国憲法は非常に短い。各国憲法を英訳した単語数を比較すると、日本国憲法はインド憲法の29分の1、ドイツ基本法の5分の1に満たず、世界平均の4分の1以下なのである。
 なぜ短いのか。日本国憲法制定以後の他国の憲法が、環境権など新しい権利を記していることが多いのも一因だ。だがそれ以上に大きな理由は、条文に具体的規定が少ないことである。例えば他国の憲法では、選挙や地方自治の制度などを具体的に書いてあることが多い。だが日本国憲法では「法律でこれを定める」と書いてあるだけだ。
 マッケルウェインはこれが、日本国憲法が改憲されなかった理由だという。他国では改憲が必要な制度改正でも、日本では公職選挙法や地方自治法の改正で対応できたからだ。
 なお議会での改正手続きをもつ憲法のうち、3分の2の賛成を必要とするものは78%だという。つまり日本国憲法は、特段に改正が難しいわけではない。改憲しなくても「事足りた」から改憲されなかったというのである。
 私が確認してみたところ、日本国憲法で「法律でこれを定める」と書いてある条文は10カ所もある。それには選挙制度や地方自治、会計検査院の権限など統治機構の条文、さらに国民の要件、財産権の内容、労働条件、参政権資格など人権に関する条文が含まれる。他にも教育を受ける権利、納税の義務など、法律で詳細を決めるという条文は数多い。
 このことを踏まえると、昨今の改憲論の背景がわかる。例えば民進党の細野豪志は、現憲法は「国と地方の関係」を「法律に丸投げ」しているとして、地方自治や教育権などの条文を詳細にする私案を公表した。確かにそういう不備はあるといえるだろう。
 とはいえ、そうした不備は細野が指摘した条文だけにあるのではない。このやり方で各条文を詳細にすれば、憲法全体を書き直す作業になる。その困難さと、過渡期の混乱を考えれば、政策の実現手段としては現実的ではない。
 なおこれとは別に、「押しつけ憲法」だから改憲しようという声もある。だが木村草太は「『押しつけだから気に入らない』というのでは、『いまの日本国憲法に内容的問題がない』と自白しているようなもの」と評する。こうした心情的改憲では、条文の具体的内容がよくなる目途はないだろう。
 だが現憲法も人間が作ったものである以上、完全無欠ではない。マッケルウェインは「ここで改めて憲法とはなんであるかを確認しておきたい」「憲法は権力者が守るべきものとして定められたものである」と述べ、憲法の規定が簡略すぎるのは問題だと指摘している。憲法が簡略であるほど、政権党や政府の裁量や解釈が入りこみやすいからだ。
 つまり問題はこうだ。憲法が簡略すぎるのは、確かに一種の不備ともいえる。とはいえ、憲法全体の書き直しは現実的でない。ではどうするか。
    *
 ここで発想を変えてみよう。安易に憲法を変える前に、まず憲法の不備を別の形で補う努力をするべきだ。例えば国民が国政への関心と権力への監視を高めれば、上記のような不備を補う機能を果たしうる。そもそも「憲法の不備は自分たちで補う」というくらいの国民意識の高まりがないのなら、形だけの改憲をしても混乱を生むだけではないか。
 木村はこのようにも述べている。「改憲が必要かどうかは、これまでに生じている問題を分析した上で、法律の運用の適正化でも、法律改正でも対応できない、となって始めて議論されるべきものだ」。だが「権力者の問いを待っているだけでは国民のための国家は実現しない。国民の側から、『こんなことに困っている』『この制度はおかしい』と声を上げていかねばならない」。
 そうした状態をめざすことが、憲法をめぐる全ての議論の前提だ。それなしには、「憲法を変える」ことも、「憲法を守る」ことも、ありえないのだから。
 
国民に選ばれたという衆院、参院の議員全員がそれぞれの選挙で「憲法改正に対する賛否」を有権者に問うてはいない。
 
むしろ改憲に賛成の党の公認を得た議員といった程度なのだが、自民党は党是で改憲を明確にしているが、民進党は改憲派と護憲派が同居状態で、党としての統一性は見られない。
 
したがって衆参両院で3人の2の改憲派議員が占めているからと言って、それがそのまま民意にはなっていないことも自明である。
 
やはり、ここは再度「憲法は権力者が守るべきものとして定められたものである」という原点に立ち返り、国民が主語で書かれた憲法を国民の意思で作ろう、改正しようという動きが出ない限りは改正すべきではない、とオジサンは思っており、これから日本国憲法を護るため「憲法集会」に出かけることにする。
 
20170503kenpousyukai.jpg

posted by 定年オジサン at 10:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法改正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック