2018年05月05日

掘った墓穴に転がり込む安倍政権


「昭和47年7月1日法律第113号」と呼ばれる法律は、正式名称が「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」とかなり長ったらしいのだが、通称は「男女雇用機会均等法」とよばれている。
 
制定された1972年当時は、通称だけが一人歩きして、あくまでも男女が雇用される場合は、その機会が均等に与えられていればよい、といった程度の理解であった。
 
しかし第1条と2条には、こう書かれている。
 
「法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのっとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進することを目的とする(第1条)。この法律においては、労働者が性別により差別されることなく、また、女性労働者にあっては母性を尊重されつつ、充実した職業生活を営むことができるようにすることをその基本的理念とし、事業主並びに国及び地方公共団体は、この基本的理念に従って、労働者の職業生活の充実が図られるように努めなければならない」
 
すなわち、単に雇用の機会の均等のみならず性差別の禁止という精神から、特に女性の待遇に焦点があてられていた。
 
オジサンが会社人になった頃は、新入社員の初任給は男女同額であった。 
 
そして、特例を除いて、職種の呼称も一気に変わってきた。
 
「婦人警察官」→「女性警察官」(募集の際は単に警察官)
「営業マン」→「営業職」
「保母」→「保育士」
「看護婦」→「看護師」
「スチュワーデス」→「客室乗務員」等々。
 
今までは看護婦の上司は「婦長」と呼ばれていたが、「師長」という呼び名は「市長」と混同されたらしく、しばらくはなじまなかった。
         
」によると、1997年(平成9)年改正男女雇用機会均等法により、「事業主に対するセクシュアルハラスメント防止措置の義務化」が追加された。
 
そして第11条が正式に追加された。
 
第11条 事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう 当該労働者からの相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。
 
ようするに、職場において行われる性的な言動に対する労働者の対応により労働者がその労働条件につき不利益を受けること(対価型セクシュアルハラスメント)と、性的な言動により労働者の就業環境が害されること(環境型セクシュアルハラスメント)について、事業主に対し、防止のために雇用管理上必要な措置をしなければならないとしている。
 
これは一般企業を対象としており、あくまでも事業主の配慮義務となっており、制裁も企業名の公表レベルである。
 
このような予備知識の下で、先月、財務省が「セクハラ疑惑」を認定し減給処分を遡って行い、結果的には退職金からの控除という形で幕を引こうとしていた、福田淳一元財務事務次官のセクハラ疑惑問題。

条文に則り解釈すれば、財務省の事務方トップの男が、職務に関する取材のため職場外で女性記者と会った場合、本人は自分の職場ではないが、相手の記者は就業環境と認識され、その場でのセクハラ発言は、環境型セクシュアルハラスメントであり、性的な言動により労働者の就業環境が害されることになるわけである。
 
そのようなセクハラ発言を行った人間の実質上の上司である男がこんな阿呆なことを口走っていたという。

<「セクハラ罪っていう罪はない」 麻生財務相が発言、調査打ち切る考え>
 2018年5月5日05時00分 朝日新聞DIGITAL
 財務省の福田淳一・前事務次官のセクハラ問題について、麻生太郎財務相は4日、訪問先のフィリピンでの記者会見で「1対1の会食のやりとりについて、財務省だけで詳細を把握していくことは不可能だ」と述べ、調査を打ち切る考えを改めて示した。
 財務省は4月27日、福田氏のセクハラを認定して処分し、調査を打ち切る方針を発表。女性社員が被害にあったというテレビ朝日は調査の継続を求めていた。しかし、麻生氏はセクハラの認定については「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強(制)わい(せつ)とは違う」などと発言。「(福田氏)本人が否定している以上は裁判になったり、話し合いになったりということになる。ここから先はご本人の話だ」とした。
 調査を打ち切ることについて「いくら(調査結果が)正確であったとしても偏った調査じゃないかと言われるわけですから。被害者保護の観点から(調査に)時間をかけるのは、かなり問題がある」などと説明。処分の理由については国会審議への影響のほか、「役所に対しての迷惑とか、品位を傷つけたとか、そういった意味で処分をさせて頂いた」とし、財務省としてセクハラを認定したことは挙げなかった。 
 
当然ながら、こんな非難の声を浴びてしまう。
まさに麻生太郎財務相は、「いくら筋の通った話をしても受け付けず、自分勝手な主張をして屈しない」し、「生半可な知識の持ち主ほど、自説に固執して曲げない」という「無学者論に負けず」そのものであり、オジサンの高校の大先輩である落語家の柳家小三治が演じた落語を思い出した。 
 
【柳家小三治 - 千早振る(1/3)】
 
この落語の枕に登場するのが「「無学者論に負けず」のアホ太郎ではなく麻生太郎そのものに見えてくる。
  
セクハラ行為を認定した上で減給とした財務省の対応とは食い違う説明を平気で行う麻生太郎財務相の頭には、「俺が福田のセクハラを認めたば、上司としての責任問題になる」という己可愛さの自己防衛で満ち溢れていたのであろう。
 
世論調査によると、麻生太郎財務相が「辞任すべき」よりも「辞任する必要がない」のほうが上回っているという結果を背景に、こんな強気な、クズ発言が飛び出すのであろう。
 
そして、「モリ・カケ問題」は、安倍晋三が播いた種であり、「なんで俺まで道連れにさせるのか!」という怒りがあふれているのいが麻生太郎。
 
国民からすれば、安倍晋三も麻生太郎も一緒に消えてなくなればいいと思うのだが、なかなかしぶとい連中である。
 
それならば、最後に安倍晋三の天敵でもある、浜矩子同志社大教授の話を届けることにしよう。
 
<墓穴に転がり込んだ安倍政権に自ら息の根を止めさせろ>
 2018年5月5日 日刊ゲンダイ
 昨年6月に「どアホノミクスの断末魔」(角川新書)という本を書きましたが、本当にその通りの断末魔になってきたなとつくづく思います。政権が崩れていく時というのは、多面的な問題が次々噴出するものなんですね。ついにはセクハラやそれをめぐる低レベルな発言まで出てきて、もう末期的です。
 具体的な問題は、財務省、厚労省、文科省、防衛省という「役所の不祥事・疑惑」という形なので、自民党も「官僚機構に振り回される自分たちは被害者だ」というポーズで事を収めようとしました。しかし、それで納得するほど国民はバカじゃない。役所のトップの大臣は政治家なわけで、政治家が責任を取らなければおかしい、ということを国民は分かっている。
 麻生財務相にしても、この期に及んで悪あがきを続けているのだから救いようがありません。麻生財務相が辞任すると政権の屋台骨が崩れるので安倍首相が困る、などと解説されていますが、そういう次元でしか、ものを考えられないというのもこの政権のお粗末さを物語っている。
 加えて、財務次官のセクハラ問題で、女性記者が次官との会話を録音したデータを週刊新潮に渡したことについて、自民党の衆院議員が「ある意味犯罪」だと失言したり、「#Me Too」のボードを掲げて抗議した野党の女性議員に対して、別の自民党議員が「セクハラとは縁遠い方々」とツイッターに書き込んだり。口を開けば、下劣さを露呈するばかりなのに、彼らはそうなることにさえ気が付かない。知性のなさは目を覆いたくなるほどです。政権が崩れる時というのは、こうしてあらゆる形で愚劣ぶりがほとばしり出てしまうのでしょう。
■「愛僕者」に付ける薬はない
 安倍首相は「徹底的に膿を出す」などと言っていますが、そもそも政権そのものが本質的に膿の塊。膿が全部流れ出れば何も残らないでしょう。
 政治家が下心や野望を達成するために政策を私物化すると、結局、墓穴を掘るということがよく見えてきましたね。こうなったら、政権側が自分たちで墓穴を掘って、そこに転がり込み、自ら息の根を止めるよう徹底的に追い込んでいく必要があります。それが今の野党の仕事です。野党側のペースで総選挙に持っていければいいですね。
 野党はとことん審議拒否したらいい。嘘やごまかしの安倍政権とは、マトモな議論が成立する余地はありません。空気が悪すぎて呼吸のできない部屋では、議論すればするほど、呼吸困難に陥ったり、一酸化炭素中毒になったりしてしまう。まずは部屋を浄化しなければなりません。北朝鮮情勢や貿易戦争などもっと大事な問題があるなどと、野党を批判する向きがありますが、政治課題が山積していればこそ、きれいに掃除して、まっとうな環境づくりが急務です。
 安倍首相は「愛国者」ではなく「愛僕者」。国ではなく自分を愛している。だから彼が「国難」と言う時は「僕難」と思った方がいい。愛僕者に付ける薬はありません。我々は一致して、愛僕者を葬り去るべく、力を合わせるしかないと思っています。
 
安倍晋三の著書、『美しい国へ』の中にこんな回想場面がある。
 
〈子どもだったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて「アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ」と足踏みすると、父や母は「アンポ、サンセイ、といいなさい」と、冗談まじりにたしなめた。祖父は、それをニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった〉
 
当時6歳だった「僕チャン」はそれから58年経った現在、中身は少しも成長しておらず、64歳の単純な「愛僕者」になったに過ぎなかったということである。
 
膿の塊の政権が、自らの膿を全て曝け出せば何も残らず、自分たちが掘った墓穴に転がり落ちることであろう、とオジサンは思う。


   
posted by 定年オジサン at 12:02| 神奈川 ☀| Comment(0) | 安倍晋三 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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