2013年02月13日

暴走老人の独演会

マスメディア、とりわけテレビメディアは絵としての「映像」が命である。
 
したがってテレビ局の政治的な主義主張など一切お構いなく、視聴率のとれる映像をお茶の間に垂れ流し続けなければならないている。
 
昨日の午後、近くの掛かりつけのクリニックに降圧剤をもらいに行き待合室に入ったら、自民党の小泉進次郎が自民党青年局長として国会議員34人を含む150人を引き連れて福島県の東日本大震災被災地や福島原発避難住民らを訪れ、その一挙手一投足をテレビカメラが追いかけていた。
 
 「自民党青年局『チーム11』150人で乗り込み
  
しかし、同じ「絵」ならハチャメチャな言行で物議を醸し続けてきたこの80歳の老人を凌ぐものはいない。
 
<石原氏 再デビューは独演会 18年ぶり国会登壇>
  2013年2月13日 東京新聞
20130213isiharasintarou.jpg日本維新の会の石原慎太郎共同代表が12日の衆院予算委員会に出席し、18年ぶりに現職議員として国会に登壇した。憲法改正や靖国神社参拝などタカ派色の強い持説を延々と披露する、さながら独演会となった。
 かつては自民党議員だった石原氏。国会での発言は、議員在職25年で永年在職表彰を受けた衆院本会議で議員辞職表明をした1995年以来、18年ぶり。質問は羽田政権に対した94年の衆院予算委以来となった。
 石原氏は質疑の冒頭で「18年ぶりに国会に戻ってきた」と自己紹介すると、首相も意欲を持つ憲法改正を最初に取り上げた。
 現行憲法について「戦争の勝利者が、敗戦国統治のために即製した」と強調すると、首相は連合国軍総司令部(GHQ)による憲法原案作成の経過に触れ「1週間ちょっとで作り上げられた」と呼応。石原氏は「憲法を早期に大幅に変えていただきたい。いかなる協力もする」と意気投合してみせた。
 さらに、石原氏は沖縄県・尖閣諸島の警備強化の必要性を訴えると、首相は「相手に付け込む隙を与えないように、備えを確かにしたい」と応じた。石原氏は武器輸出三原則についても「変えることが安倍内閣の責任だ」と求めた。
 石原氏は質疑時間として割り当てられた1時間50分中、約1時間10分を自分の質問に充てて存在感をアピール。質疑時間を10分も残して「国会再デビュー」を終えた。
 
   
 
ざっくりと質問骨子は以下の通り。
 
・総理大臣が現行憲法(占領下制定憲法)を廃棄宣言することに法的に妨げる規定はない。
・天皇陛下は国民の象徴というだけでなく、祭祀(神道)を司っている。
・総理大臣は靖国神社に参拝する必要なし。むしろ天皇陛下に靖国神社参拝して欲しい。
・支那という言葉を使うことに、なんら支障はない。
・尖閣の実効支配強化(灯台、船溜まり)。
・今後はわからんが、現時点なら自衛隊の実力から考えて、支那は尖閣周辺の制海権と制空権をとることは出来ない。 
・GPSは米国依存。日本でも作る必要ある。
・日本上空の米軍専用空域の問題。あと5年で日本の国際線はパンクする。
・定期的に火山噴火し疲弊している三宅島を訓練用NLP代替滑走路に活用してほしい。岩国や硫黄党より、三宅島の方がよいだろう。
 
石原慎太郎の質疑の詳細は産経新聞の「『暴走老人が戻ってきた』 衆院予算委」と「『尖閣に灯台を造るべきだ』 衆院予算委」に全文が掲載されている。
 
ほとんど、いつもほざいていることをテレビを通して国民に訴えるように心酔してしゃべっていたが、冒頭の挨拶がそれを如実に表していた。
 
石原氏「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってきた。暴走老人の石原だ。私はこの名称を非常に気に入っている。せっかくの名付け親の田中真紀子(前文部科学相)さんが落選した。『老婆の休日』だそうで、大変残念だ。これからの質問は言ってみれば、この年(80歳)になって国民の皆さんへの遺言のつもりだ」
 「昨年2月ごろ、靖国神社で聞いた90歳超のある戦争未亡人の歌だ。この方は20歳前後で結婚して子供をもうけたが、主人は戦死された。ひ孫もできたかもしれないが、その方は90歳を超して今の日本を眺めてこういう歌を作った。『かくまでも 醜き国になりたれば ささげし人の ただに惜しまる』。これは強い共感を持ってこの歌を聞いた」
 「国民の多くは残念ながら我欲に走っている。政治家はポピュリズムに走っている。こういうありさまを外国が眺めて軽蔑し、日本そのものが侮蔑の対象になっている。好きなことを言われている。なかんずく、北朝鮮には200人近い人が拉致されて、中には殺されて、取り戻すこともできない。こういった実態を眺めて、この戦争未亡人はあの戦のために死んだ主人を想起しながら心情を吐露した。私は運命の気がしてならない」
 
自分が80歳で高齢だという批難を浴びないためにわざわざ「90歳超のある戦争未亡人」の話を枕に持ってきて、自分はまだ「若い」ことを強調したかったのかもしれない。
 
約1時間余りの過激な質問に答える安倍晋三首相が穏健に見えてしまうほどのタカ派ぶりであった。 
 
ネット族というのかネトウヨと呼ばれる連中からは評判がよかったようであるが、ことさら頻繁に「シナ、シナ」と連発する様は、哀れな老醜をさらけ出しているようにも見えた。
 
「新聞などが予想したとおり、良い悪いは別に豊富な知識をしらけかしての独演会だった。対応した安倍晋三首相や麻生太郎財務相は、昔の自民党の大先輩だったこともあってか、神妙な顔で承っている様子だった。」
 
と始まり、しかし・・・と正面から石原慎太郎の質問風景を批判している人もいた。
 
「概して、石原氏の質問は、自説をくだくだ述べただけで、維新の会に与えられた質問時間総てを使ったものなのでしょうがないが、NHKの電波を使っての国会中継としてはいささか首をひねりたくなる。」
 
石原慎太郎がNHKの電波を使った「国民の皆さんへの遺言」として捉えれば、おそらくは独演会というよりは最後の「毒演」だったのだろうから今後再び聞く機会はないだろう、とオジサンは思った。
 
posted by 定年オジサン at 11:52| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 石原慎太郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月18日

あらためてお伝えする 石原慎太郎の実像

10月31日、「マイウェイ」の曲を聴きながら意気揚々と都庁の玄関まで来た石原慎太郎は「『ロッキー』石原氏 国政復活劇を意識?」と、映画「ロッキー」のテーマ曲で都庁を去った。
 
都民からすれば、今後はこれまで以上の都税の無駄遣いに遭わなくて済むかもしれない。
 
知性とか品格とかリーダーとしての弱者に対する優しさなんかとは、全く無縁の虚像・虚勢の男。
 
過去3年半余り、石原慎太郎の目に余る言動に対して、正面から批判、非難するマスメディアは極めて少なかった。
 
もちろん、誹謗中傷された女性団体からは裁判も起こされたが、司法もこの男を断罪することはできなかった。
 
オジサンのような素人がどのような言葉を用いても石原慎太郎を解剖することは困難である。
 
しかし、今年80歳の石原慎太郎と同い年で、天敵でもあるのがジャーナリストの本多勝一。
 
彼は、10数年以上前から石原慎太郎という男を自分の書物等で批難しており、かつて自身が発行人(社長)をやっていた「週刊金曜日」に掲載された極め付きの文を以って、あらためて石原慎太郎という人物の実像を明確にしておきたい。
 
『週刊金曜日』 2000年7月7日 (No.322) 号より
 
貧困なる精神(121)    本多勝一
 
石原慎太郎の人生
 
 石原慎太郎と同世代になる私などのように、石原の若いときからの生態を観察してきた者からみると、今の若い世代には石原の基本的性格が理解されていないのではないかと思う。石原が都知事選に立候補したときの 「風速計」 で簡単にふれたが、ここでもう少しくわしく解説しておくことにしよう。

 「ウソつき」 と 「卑劣な小心者」 とをこねて団子にしたような男。
 これは本誌去年3月26日号の拙文 (風速計) からの引用ですが、東京都知事選に再び立候補して24年ぶりに目的を果たした石原慎太郎 (敬称略、以下同) の基本的性格は、こう表現するのが適切でしょう。しかしこの人物に直接接したり具体的問題にかかわったことのない人々が、このへたくそな小説家のハッタリ人生にだまされて、そんな事実を知らないのも無理はないかもしれません。
 この人が最初に世間に売り出したのは、小説家としてでした。株式会社文藝春秋が、自社の 「ショー」 としていくつもつくっている文学賞の類のひとつに 「芥川賞」 があり、石原は学生時代の1956年にそれを得たのです。
 これが芥川ショーとしての、他の年の普通の同賞以上に騒がれたのは、学生時代の若さということ以上に、彼の小説の突出した下品さにありました。 『太陽の季節』 と題するその小説は、勃起した陰茎で障子紙を破る奇矯な描写がとりわけ評判となったのです。そんなことを書く小説家は 「純文学」 畑にはそれまで (たぶん) いなかったでしょうが、そういう描写それ自体が下品だというのではありません。描写の方法なり文体なりが 「文学」 になっていないから下品なのです。
 こんなものになぜ文学賞が出されたのでしょうか。それは、かつて故・深沢七郎も言っていたように、これが一出版社の商売としてのショーだからです。話題性があること、巷間(こうかん)で騒がれることなどで売れればいいのです。かといって無茶苦茶低レベルのものばかりに毎年ショーを出していたら、その賞本体に権威がなくなりますから、真に文学の名に値する作品も時にはあるでしょう。しかし基本的には、文春が下選びした作品について、文春が選んだ 「選者」 たちが審査するのですから、文春の商売的意向が反映さぜるをえません。このあたりのことについては、かつてやはり文春のショーたる 「大宅賞」 の性格を論じたとき、この賞を逸した鎌田慧に対する選評をもとに詳述したことがあります (本多勝一著作集第19巻 『日本語の作文技術』 = 朝日新聞社 = 収録の 「茶番劇としての"大宅壮一賞"」 ) 。
  以来、彼の書く小説は、ヘミングウエイの亜流の亜流というべきか、自分ではヘミングウエイていどの冒険さえ全くできないくせに作品だけはそれをまねようとして、一言で言えば 「三流以下」 の駄作を重ねてゆきます。もちろん私は小説界にくわしいわけではありませんが、彼の小説が 「文学」 としてはほとんど相手にされなかったことは、いわゆる文壇でも常識でしょう。ごく最近の例として金井美恵子の一文から引用しておきます。
 「・・・・・・小説家としては三流以下だった都知事のお金に関する政策、外形標準課税は典型的なファシズムのやり口でしょうし、・・・・・・」 ( 『一冊の本』 2000年6月号の 「 『お金』 については語らない」 から)
 そんな 「三流以下小説家」 では未来が暗いことくらい当人でもわかりますから、タレント性が選挙に有利な分野たる政界に転進することになります。そしてその前後から、若いころにはかなり"進歩的"だったこの男がえらく反動的になっていって、ついには靖国神社復活をめざす 「青嵐会 (せいらんかい) 」 に加わるまでに到りました。日本の核武装も積極的に主張しはじめます。
  以後の石原の軌跡については、あらためてここでたどる必要はありますまいが、その 「ウソつき」 ぶりと 「卑劣な小心者」 という基本的性格を知らない若い有権者も多いことでしょうから、私が直接知っているか体験した事実を、この機会に三件だけ紹介しておきましょう。
 
1.ベトナム戦争での卑劣さ
  想えばもう三十余年も前 (1967年) のことになります。ルポ 『戦場の村』 (朝日新聞社連載、のちに朝日文庫) を書くため南ベトナム (当時) に滞在中、石原慎太郎がベトナムへやってきました。私がサイゴンにいるときだったので、何かの会合で他の記者たちと共に会ったことがあり、その帰りの夜道でニューギニアについて彼と話した記憶があります。
  そのあと彼はサイゴンを離れて何ヶ所かの前線を取材に行ったようですが、肝臓だかを悪くしてひどい下痢で活動できなくなり、まもなく帰国したという噂をききました。もともと真の冒険家ではありえない人だから、修羅場には弱かったのでしょう。
  それからほぼ一年のち、南ベトナムから私が帰国してまもなく、報道写真家の石川文洋が 『ベトナム最前線』 というルポルタージュを読売新聞社から刊行しました。これに序文を寄せた石原の文章を読んで、次の部分に私は少なからず驚かされることになります。
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 ベトナム戦線Dゾーンのチャンバンの砲兵陣地で、訪れた我々日本記者団に向かって、試みに大砲の引き金を引いて見ないかと副官にすすめられたことがある。 (中略) 番が私に廻って来そうになった時、同行していた石川カメラマンがおだやかな微笑だったが、顔色だけは変えて、 「石原さん、引いてはいけません。引くべきでない。あなたに、この向こうにいるかも知れない人間たちを殺す理由は何もない筈です」といった。
 躊躇(ちゅうちょ)している私に、陽気な副官は鉄兜をさし出し、”Kill fifteen V.C.!”
 と叫んだが、幸か不幸か突然射撃中止の命令が入り、その時間の砲撃は止んでしまった。
 私は今でもその時の石川君の、私を覗(のぞ)くように見つめていた黒いつぶらな瞳(ひとみ)を忘れない。童顔の、あどけないほどのこの若いカメラマンの顔に、私はその時、なんともいえず悲しい影を見たのだ。
 彼がもし強く咎(とが)めていたら、私は天邪鬼(あまのじゃく)にその後まで待って引き金を引いていたかも知れない。
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  この文章からみると、石原は解放戦線または解放区の住民に対して、副官にすすめられるままに、大砲の引き金を引く寸前だったことになります。たまたま 「幸か 不幸か 突然射撃中止の命令が」 出たために、彼はそれを果たせなかった。もし中止命令が出なければ、第一には 「すすめられるままに」、そして第二の可能性としては 「彼 (石川文洋) がもし強く咎めていたら、私 (石原慎太郎) は天邪鬼にその後 (砲撃再開) まで待って引き金を引いていたかも知れない」 のです。
 こういう小説家の神経と体質について、私がここで解説を加えるまでもありますまい。私はこのあと解放区の取材に長く潜入していましたから、時間と場所がすこしずれれば、ことによると石原の撃った砲弾が私のいた村にとんできたかもしれませんね。 (注1) 。
 ここに見られるように、石原はベトナムへ行ってもせいぜい陣地までしか行けはしない。石川文洋の苛烈な体験はもちろん、私がやったていどの歩兵との最前線従軍さえできず、安全地帯にいて、卑劣にもそんな中から大砲だけは撃ってみるような、子どもの戦争ごっこくらいしかできないのです。しかも石川文洋が言うとおり、石原慎太郎にとって殺す理由など何もないベトナム人を砲撃しようとする鈍感さ。この卑劣で鈍感な男が政治をやろうというのであります。
 
2. ヨット世界一周への嫉妬
 次は今から二六年前 (1973〜74年) のことです。真の冒険児たるかの堀江謙一が、ヨットによる単独の無寄港地球一周に275日と13時間10分の新記録で成功しました。
 しかしながらこの成功は、その前年 (1972年) に失敗して二度目の挑戦による快挙です。前年には出港してまもなく、マストに欠陥があって折れたために、出直しをすべく計画を一年延期したということですが、この"失敗"にさいして、週刊誌をはじめとするマスコミ (情報商売 = ジャーナリズムではない) は堀江を徹底的に中傷・非難しました。女性週刊誌の一部にはプライバシー問題まで暴いたりして、あんまりひどいので当時の堀江との対談 (注2) で 「こんもの書いて (または書かせて) メシ食ってるヤツ、人間のクズだな。カスだ。これこそ告訴ものだ」 と発言したら、当のクズ・カスから私の職場に電話があって、ひとこと 「抗議する」 と言っただけで一方的に電話を切りました。抗議されるべきはクズ・カスの方ではありませんか。
 余談ですが、この種の私事暴露や虚偽を掲載するゴロツキ雑誌やそれを書いている連中は、その卑しさ・汚さの点でいかなる破廉恥犯罪人よりも本質的に下等な人種に属すると思います。三年ほど前のことになりますが、講談社のある月刊誌が、私に対して一度たりとも取材をせずに、ジャーナリストの名誉の根幹にかかわるひどい加害報道を実行したので、その月刊誌編集長と筆者について 「よく卑しい職業の例にあげられる売春婦よりも本質的に下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中である」 と論評しました。すると当の筆者などから、売春婦に対する差別発言であるかのような"反論"がありましたが、これは誤読・曲読の類というものでしょう。売春婦の中にも大いに尊敬すべき人物がいることは知っているからこそ、俗世間でよく卑しい職業の例にあげられることに違和感を抱いており、そんな例を挙げるとすれば、売春婦などよりも前述のような 「人間のクズ・カス」 こそ本質的に、真の意味で、本当の 「卑しい職業」 なのだと言っているのです。
 それはさて措(お)くとして、堀江謙一のような真の冒険家は、日本ではよく攻撃されます。日本型社会の枠の中での冒険なら、たとえば植村直己の場合のように愛されたり称賛されたりもするのですが、その枠からとび出すほどの、日本的価値観では理解を絶する最先端の冒険には、逆に非難・攻撃を加えるのです。堀江が二三歳のとき成しとげた初の太平洋単独横断にさいして、日本のマスコミが加えた非難・批判の激しさとばかばかしさは、日本人の本質的な底流にかかわる問題として私に論文 「冒険と日本人」 (注3) を書かせました。二度目にマスコミから袋だたきにされたのが、前述の世界一周"失敗"のときです。
 さらに、三度目の袋だたきはもっとひどいものでした。無寄港単独世界一周に新記録で成功した翌年 (1975) 、太平洋横断ヨットレースに堀江も加わったときです。堀江のヨットはこのときメイン = ブームの故障などで遅れたものの三位に入賞したのですが、問題は無線機が故障して四〇日余り連絡不能に陥ったこと。これでまたマスコミに騒がれて、自殺説だの遭難説だの、さらに私事暴露や、ひいては前年の世界一周が嘘だという暴言さえ出る始末でした。このとき私は 「またまた袋だたきの堀江謙一を激励する」 と題する堀江との対談 (注4) を発表しましたが、この、世界一周捏造説を断定的にとなえた人物こそ、石原慎太郎だったのです。
 
 このあたりのことについて、かつて書いた中から一部を引用しましょう。
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  石原氏は好んで冒険的な題材を扱い、みずからもヨットをあやつり、エベレスト (チョモランマ) やベトナムにも行った。世間には 「男性的カッコよさ」 がイメージづけられた。しかし彼の 「行動」 を見ていると、かつて一度たりとも真の冒険に値することをやったことがない。本当に生命の危険があるようなところへは決して近づいていない。ヘミングウエイに彼は憧れていたようだが、実際に冒険にとびこんだヘミングウエイとは似ても似つかぬ"行動"だった。ヘミングウエイの亜流ならまだしも、幼稚な 「ヘミングウエイごっこ」 でしかなかった。
 「男性的カッコよさ」 が虚像だったとすれば、女性的というべきなのだろうか。しかしそれでは女性に対して失礼になろう。ヨットなら小林則子氏、山なら今井通子氏、ベトナムならミシェル = レイ氏など、彼など及びもつかぬ冒険家が、女性の中にもたくさんいる。むしろ 「小心な男」 というべきなのであろう。その裏返しとして、自分のなれない冒険家に 「なりたがっている」 のである。だから本当の冒険家を嫉妬したり、時にはとんでもない 「冒険ごっこ」 もする。
 かの堀江謙一氏がヨットによる単独無寄港地球一周に新記録で成功したとき、石原氏はこれをウソだと公言した。どこかにかくれていて、さも一周したかのように出てきて発表したというのである。さすがの堀江氏もこれには激怒していたが、これほどひどい名誉毀損(きそん)も珍しいだろう。小心な男の嫉妬として、これはまことに興味ある生態であった。エベレストのときも、三浦雄一郎氏ら本当の冒険家たちに山麓まで仲間入りさせてもらっただけであった。 (中略)
 「朝日ジャーナル」 の1977年4月29日号は、編集部の取材記事として、 「その周辺で囁かれる人物評」 が 「女みたいですねえ」 だと書いている。最近の環境庁記者クラブとの深刻な対立の過程をみても、これは全く当然の人物評であることがわかるが、やはり 「女みたい」 では女性に失礼なことだ。もし女性が環境庁長官になれば、石原長官よりはるかに立派な腕前をみせてくれるであろう。この小心な男は、私たちの世代の恥を延々とさらしつづけてくれている。
 (本多勝一 『愛国者と売国者』 収録の 「小心な男としての石原慎太郎」 から)
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 しかも石原は、堀江の世界一周にさいして、その航海日誌を朝日新聞社のヘリコプターが帰港直前に吊りあげて入手したことを 「検疫法違反」と非難しています。ところがこれも 「無寄港」 の世界一周ですから、日本を出て日本に帰っただけ、どこにも寄らないのでは検疫法など無関係でした。アムンセンが人類初の南極点到達のあとオーストラリアのタスマニア島まで帰ったとき、無人の南極からでは税関に用事がなく、無菌の南極からでは検疫の医者も用事がなかったというアムンセンの手記を思い出します。
 アムンセンや堀江謙一といった真に 「人類初の」 冒険をやる人物の行動には、なみの国際法や検疫法の類など問題外の場合が珍しくありません。石原と同じく反動側の"文学"畑から、江藤淳も堀江を非難していました。 (前述の 「冒険と日本人」 で詳述) 。
 ヨットをめぐる石原慎太郎を一言で要約すれば、小心者の卑劣な嫉妬心。これだけです。
 
3.南京大逆殺をめぐる虚言
 三つ目の例は、私自身が直接かかわることです。
 石原慎太郎はテレビ発言その他さまざまな場で 「南京大虐殺はウソだ、なかった」 と述べてきましたが、これは 『月刊プレイボーイ』 誌 (日本版) 1990年11月号の場合です。
 石原は南京大虐殺について自分では一度たりとも取材したことがない (取材する能力もない) ままに、日本を世界の孤児にする売国的"右翼"の虚言を受け売りしているだけですが、自民党代議士 (当時) という公人としての発言は、小林よしのり型の主体性なきマンガ家等の放言とは違いますし、これは私のジャーナリストとしての仕事を否定するものでもありますから、石原に対して次のような質問状を送付しました。
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 自民党代議士としての石原氏に対し、その選挙区の者ではありませんが、国政への有権者かつ納税者の一人として次の二点をただします。一ヵ月以内にお返事を下さるようお願いします。
 一、 『月刊プレイボーイ』 誌の1990年11月号で 「プレイボーイ = インタビュー」 に答えてあなたは次のように発言されました  「日本軍が南京で虐殺をおこなったと言われていますが、これは事実ではない。中国側の作り話です。これによって日本のイメージはひどく汚されましたが、これは嘘です」
 右は何を根拠としての発言ですか。
 二、 同じところで 「どこで日本人は虐殺をしました?」 と発言されていますが、これは 「虐殺はどこにもなかった」 という意味ですか。あるいは 「どこどこの虐殺は認める」 という場所があればそれを挙げてください。
 1990年11月23日    本多勝一
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 これがどうなったかは、石原側からの回答を含めて、拙著 『愛国者と売国者』 (朝日新聞社)の第四部 「南京大虐殺と 『愛国心』」 に収録されています。こうしたやりとりの結論は、 『朝日新聞』 19991年11月9日付夕刊コラム 「深海流」 に、次のような私の署名記事として書いたとおりです。
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石原慎太郎氏の 「うそ」
 国会議員の石原慎太郎氏が南京大虐殺を 「中国側の作り話」 「うそ」 と発言 (米誌 『プレイボーイ』 誌昨年10月号 = 日本版は11月号) して問題化したとき、私は 『朝日ジャーナル』 (昨年12月7日号) で、これが何を根拠にしての発言なのか公開で質問した。
 回答によると、 『プレイボーイ』 のインタビューは 「通訳を通して」 行われたので 「食い違いがあった」 とのことである。そのほか 「個々の質問」 については 『文藝春秋』 今年2月号の石原氏の 「論文」 (日本を陥れた情報空間の怪) をもって回答にかえるという。
 そこで当の 「論文」 を読んだところ、これは違法行為としてのひどい改ざんや捏造、スリかえをもとにして個人攻撃をしたうえ、南京大逆殺についての朝日新聞の報道を 「売春と同じように一度始めたら容易には止められない」といった差別表現をしてまで中傷する異様な"論文"であった。
 このような"論文"に対して同じ 『文藝春秋』 誌上で反論する前に、まず事実関係をはっきりさせておくべく、次の二点について再度質問状を送った。
(1)通訳を通しての 「食い違い」 はどの部分か。
(2)インタビューが活字化されるにさいして原稿かゲラで自分の発言をチェックしたか。
 だが、二月に出したこの再質問には回答がない。以後十月までに三回にわたって催促したが、まだない。
 もはや回答は出たとみるべきであろう。 「作り話」 「うそ」 を語ったのは、中国側ではなくて、まさに石原慎太郎議員自身たったことになる。石原氏は何の根拠もなく、 『プレイボーイ』 誌で南京虐殺を否定したのであった。
 「国際化」 とは、外国語会話をやることなどではなく、まず侵略の非は非と認めて再出発することこそその第一歩なのだ。せめてドイツが戦後やってきたような程度まで。

 南京大虐殺を中国側の 「作り話」 「うそ」 と全否定した石原は、これはマズイと思ったらしく、この"論文"の中では卑劣にも黙ってひそかに部分否定に変更しています。つまり 「うそつき」 は石原の側だったわけです。
 以上のような基本的性格が彼の仕事全体に反映するのは当然ですが、なぜか 『週刊朝日』 (去年3月26日号) は、石原慎太郎の 「滑り込み都知事選出馬」 を 「単独インタビュー」 して言いたい放題にさせました。選挙なら誰だって 「単独」 で応じるに決まっています。これは他候補たちが票を食いあっていることを見越した上での 「漁夫の利立候補」 にすぎません。こんな 策戦に利用されて 「単独インタビュー」 で応援する雑誌やテレビの見識の無さ。
 今から二四年前になる1975年の都知事選に石原が出たとき、私は月刊誌 『潮』 (1975年4月号) で次のように書きました。
 「石原慎太郎東京都知事。 −−劇画や漫画なら 「ドヒャーッ」 とか 「ケケケケ」 とか、そんなオノマトペで笑えばすむことだが、現実にそうなるかもしれないとなると、考えこまざるをえない。 (中略) こんな男の 「支配」 する東京都にいることなど、恥ずかしくてとても耐えられない。もともと私などは住所不定で日本にいないことが多く、日本にいても東京にいないことが多いが、住民税の納め場所は東京になっている。少なくともこれだけは拒否すべく、彼の任期中は現住所を故郷の実家へ移してしまおう。いったいどうして、彼の支配体制のために財源を助けることができようか」
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 ここで冒頭の一文にもどります。
 「ウソつき」 と 「卑劣な小心者」 とをこねて団子にしたような男。
 東京都知事に漁夫の利当選した石原慎太郎の基本的性格は、やはりこう要約するのが適切でしょう。 「三国人」 発言その他は、すでに書いたように (本誌5月26日号 「風速計」) 、ブタがブーブー鳴いているだけのこと、問題はそんなものを支持する国辱的日本人が少なくないことです。
 
あえてこれ以上付け加えることはないのだが、石原慎太郎は当初は本気で今度の総選挙には「太陽の党・比例区」から出馬するといっていた。
 
   20121118taiyounotou.jpg
 
「たちあがれ日本」という老骨屋台の看板を替えて「太陽の党」にしたらしいのだが、時期外れの「太陽の季節」には当時の勢いもなく、「沈み行く太陽」になって4日目には早くも「日本維新の会」に吸収されてしまった。

橋下徹は、東京都知事で成功した(?)実績から「石原総理」を狙っていると公言している。

これほど酷い冗談はない。

ようやく都民が石原慎太郎の杜撰な行政から解放されたと思っていたのが、今度は日本をメチャクチャにしかねない立場に絶対にさせてはならない。

こんな石原慎太郎の実像を知ってもらい、間違っても投票用紙に「日本維新の会」などと書かないことをオジサンは願っている。


posted by 定年オジサン at 11:00| 神奈川 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 石原慎太郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

我欲の暴走老人

■「大人の政党が誕生する」(千葉県の60代男性)
■「これで日本も大きく変わる」(70代男性)
■「毅然(きぜん)とした外交をできる人物の登場という悲願が、ついにかなう風が吹き始めた。これ以上国益が損なわれる心配は薄らいだ。反日国はもう日本をおとしめられない。(反日国)ご苦労さまでした」
■「国難を何とかしようと老体にむち打って出てきた。足を引っ張らないで」(70代男性)
■「男の中の男、政治家の中の政治家。国の危機に命をなげうつ行動に圧倒された。それに比べて他の政治家はみーんな小粒」(60代女性)
 
上記のコメントは石原慎太郎が都知事の職を放り投げ、新党を作り国政に出るという緊急記者会見後に産経新聞に寄せられた読者からのメールの内容だという。
 
産経新聞を購読している60代以降の読者なので、「さもありなん」ということで、特にその人たちを非難することはできない。
 
思想・信条の自由は日本国憲法で保障されているのだから、誰も文句はつけられない。
 
2010年4月7日に、新党を後押しする石原慎太郎の命名により名称が決まった「たちあがれ日本」。
 
顔ぶれをみると、一人では「立ち上がれない」老人が多く、「立下る日本」とか「たち枯れ日本」と揶揄されていたが、80歳の石原慎太郎の新党に合流ということから、平均年齢73.5歳の「暴走老人党」に改名するらしい(噂だが)。
 
この石原慎太郎にしても橋下徹にしても、ある意味ではマスメディアが生んだ「鬼っ子」である。
 
彼等の目に余るような言動には正面から批判・非難するメディアは少なく、むしろ煽るような報道で販売部数を伸ばそうという、商業主義丸出しの魂胆が見え隠れしてきた。
 
まだ、石原慎太郎に比べればはるかに若い橋下徹は「戦争を知らない子どもたち」の一人であるので、外交的面での過激な発言は少ないし、ほとんど口先だけであるので大きな影響はない。
 
しかし、自ら「暴走老人」と言って憚らない石原慎太郎については、あらためて「暴言 失言 大暴走 石原慎太郎言動録インデックス」を参照してもらえばよく分かる。
 
昨年の原発震災以降、「脱原発」への国民の意識が高まっているにもかかわらず、またまたトンチンカンな妄言を吐いた石原慎太郎に対して、齋藤貴男が怒っていた。
 
<原発はささいなことか!? 石原慎太郎よ
  [斎藤貴男「二極化・格差社会の真相」]>
  2012年10月30日 日刊ゲンダイ
石原慎太郎が東京都知事としては最後の定例会見で、またぞろ妄言を吐いた。「原発をどうするかはささいなこと。(永田町の人間は)もうちょっと大きな視点で考えられないか」というのだ。
相手にすること自体がおぞましい。だが例によって石原のタイコモチ以外の何物でもないマスコミが、ろくに報じようともしないので書いておく。あれだけの原発事故があって、それでも原発推進を言い募るのは、まあ勝手と言えば勝手だ。脱原発でなければ許されない社会になってしまうのも、別の意味で恐ろしい。
とはいえ、「ささいなこと」とは何だ。違う問題にも目を向けようと言いたいなら言いたいで、被災者たちの心情をよほど気遣い、まともな補償のために全力を尽くすと誓ったうえで初めて、おずおずと切り出すというのが、およそ人間社会のお約束ではないのか。
3・11の直後には、「天罰だ」「日本人の我欲を津波で押し流せ」と吐き捨てた経緯もある。この人は他人の生命や尊厳をバカにし過ぎている。社会生活を営む人間が絶対に備えていなければならない資質を決定的に欠いている。
今回の新党宣言を、“盟友”とされる亀井静香・前国民新党代表に、「それこそ我欲じゃないか」と叱られたそうだが、まったくだ。いや、それこそどころか我欲だけが異常に肥大化し、卑劣と無責任とを練り固めて服を着せたものが石原だ。そもそも公の仕事に就いてはならない人なのである。
筆者は2003年に岩波書店から「空疎な小皇帝―『石原慎太郎』という問題」を発表して以来、彼を批判し続けてきた。一部では痛快だと受け止められているらしい暴力的な言動の陰で、切り捨てられた人々がどれほど泣かされているか。戦争の恐怖にさいなまれていることか。
みんな、もういいかげんに目を覚まそう。亀井氏にしても、石原の実体など百も承知していたはずだ。いくら利用のしがいがある人気者だからといって、持ち上げて、つけ上がらせてきた責任はあまりに大きい。全国民の前で詫びてもらいたい。
ともあれ石原は都知事職からは離れる。血税を最低の勘違い男とお身内のお遊びに費消される悪夢から解放されるかもしれないのは至上の喜びだ。
辞職会見での耄碌ぶりを見れば、もはや公職でなくても使いものになりっこないのも自明。あとは票になれば何でもいいロクデナシ政治屋どもとの連携が怖い。ゆめゆめ警戒を怠るまい。
 
怒りを込めた「歯に衣着せぬ」批判ではあるが、けっして「悪口雑言」ではない。
 
まさに齋藤貴男が指摘するように、全て事実なのであるから。
 
それこそ我欲じゃないか」と叱られた背景には、「それもこれも、長男の石原伸晃を総理にしたいという野望のためです。一方で、新党構想には、三男の宏高を当選させる目的がある。日本のためだ何だとエラソーに言っているが、石原都知事に政治理念などない。親のエゴで動いているだけなのです」という政界事情通もいる。
 
今週号の週刊現代には、「石原慎太郎が橋下徹に握られた急所・内幕レポート」として、「『三男 宏高を維新東京代表に』と打診、『尖閣』『原発』では大幅譲歩」とスッパ抜かれている。
 
石原慎太郎には4人の息子がいるが、長男の伸晃(元自民党幹事長)と次男の良純(タレント・気象予報士)は、それなりに自立しているが、銀行員から政界入りした三男の宏高は残念ながら、親の思うようには育ってはいないのだろう。
 
父親が「息子は立派な芸術家。余人をもって代え難い」と言っていた自称画家の四男延啓は、若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト(TWS)」のアドバイザリー委員として税金で渡欧したり、TWSギャラリー施設のステンドグラスにも、延啓の原画が採用されたことなどは、すでに6年前に大きな問題になっていた。
 
さらには我欲の塊の「暴走老人」は税金泥棒と呼ばれても仕方がない勤務振りだった。
 
<フザケるな!石原 都知事時代は勤務平均59分 時給13万円>
  2012年10月30日 日刊ゲンダイ
29日、石原慎太郎(80)の辞職に伴う都知事選の日程が決まった。告示は11月29日、投開票は12月16日。前回選挙から、たった1年8カ月で、老害知事の突然の「都政ブン投げ」のため、知事選に再び支出される税金は約50億円にも上る。全くフザケた話だが、石原の税金ムダ遣いはこれだけじゃない。そもそも、高額報酬に見合うほど働いていないのだ。
 石原の08年11月〜09年10月の「知事日程表」を見ると、驚きの勤務の実態が浮かび上がる。石原が都庁に姿を見せるのは1週間のうち、「2〜3日」だけ。1日の平均執務時間を計算したところ、たったの「59分」だった。これらは、都政問題に詳しいジャーナリストの田中稔、野田峯雄の両氏が2年前に分析した結果で、石原が登庁していたのは月に多くて15日程度。つまり、1カ月の平均執務時間は約15時間しかない。
「知事報酬は、ボーナスも含めて年間約2400万円だから、月給約200万円にならすと、時給換算は13万円余りになります」(都政担当記者)
<国を憂う前に都民に税金返せ>
「老害知事」の時給が13万円余りとは開いた口がふさがらない。辞職会見で、石原は「東京のために国政でいいことをやらなくちゃいけない」とエラソーに言っていたが、この男がブチ上げた政策が都民のためになったためしはない。1400億円を投じた新銀行東京や、4000億円をつぎ込んでも進展ゼロの築地市場移転、失敗した16年の五輪招致にも100億円を使ったりと、結局は巨額の都民のカネをドブに捨ててきたようなものだ。
「貧困都政」の著者で、元毎日新聞記者の永尾俊彦氏はこう言う。
「都知事という立場は、首相と違って番記者が付くわけではないため、国民の監視の目が届きにくい。そのため、都民、国民は石原氏の実態をなかなか知りません。石原氏は国政で思うようなことができなかったコンプレックスを都政で癒やしていただけです」
 石原が99年の知事就任来、13年半で手にした血税はざっと5億円。都政放り出しの4期目も「およそ約1700万円の退職金が支払われる」(都人事部)というから、都民も甘く見られたものだ。本気で「東京のため」と思うなら、自らの報酬を含めて、今まで使った税金を耳をそろえて返すべきだ。
  
1968年、第8回参議院議員通常選挙に自民党から全国区に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。
 
1972年、参議院議員を辞めて無所属で衆議院選挙に出て当選し、自民党に復党。
 
1975年、衆議院議員も辞めて4月に初めてと知事選に挑戦し敗北。
 
1995年4月14日、国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。
 
そして1999年から4度連続都知事選で勝利したにもかかわらず、4期目の半ばで再び突然やめて、今度は「東京のために国政でいいことをやらなくちゃいけない」と平気で言ってのける無責任さは、どう見たって「我欲の塊・権化」と言われても当然だろう、とオジサンは思っている。   
   
   
posted by 定年オジサン at 11:51| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 石原慎太郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

石原慎太郎に見る晩節の送り方

昨日の夕方、電車の中でサラリーマン風の男性が読んでいた夕刊紙に、「石原都知事 緊急会見」という見出しが出ていた。
 
「いまさら緊急記者会見もないだろう」とほとんど気にもかけずに、深夜帰宅して直ぐに寝てしまった。
 
そして今朝の朝刊で初めて知った。
 
<石原東京都知事の会見要旨>
  2012/10/25 jiji.com
石原慎太郎東京都知事の25日の辞任会見要旨は次の通り。
 諸般の事情に鑑みて、きょうをもって都知事を辞職することにした。明治以来続いている官僚制度というものを、ここらへんでもう一回シャッフルしなかったら、国民が報われない。有志の仲間と話し合って新党をつくる。大阪にもその機運があるので、そういう仲間と力を合わせる。私も命あるうちに最後のご奉公をしようと思っている。
 −辞任や新党結成はなぜ今のタイミングか。
 尖閣の問題は私しかできないとやっていたが、国が人気取りか何か知らないが、ああいう形で決着した。
 −自民と連立を組む考えはあるか。
 そんなことは考えていない。自民党に戻るつもりもないし、今の自民党もそんなに評価できない。
 −後継の候補者については。
 私は猪瀬さんで十分だと思う。あれだけ優秀な副知事は見たことがない。
 −参加するメンバー、人数は。
 分からない。予想外の人たちもずいぶんいるみたいだから。
 −維新の会とはどう連携をするのか。
 まずは連携、連帯。そのことで、(橋下徹大阪市長と)政策のすり合わせもずいぶんしてきた。連合になるのかは分からないが、あるステージがきたら、そうなるかもしれない。
 
緊急記者会見は、察するに「人には言えない事情でこれ以上都知事の職を全うすることができない」ので辞任し、新党を結成するというものだった。
 
13年7ヶ月も続いた石原都政に幕が下りるわけである。
 
こんな男を4度も都知事に当選させて、一部の口の悪いブロガーからは、東京都民は「愚民だ」と罵られたそうだが、これからはそんな失礼な言われ方はなくなるだろう。
 
マスメディアの関心は、やはり橋下徹との関係であろう。
 
今年の正月の2人の写真である。
 
   2012isiharahasimoto.jpg
    
 2011年3月に「150%ない」と言っていた都知事選の「4選」に出馬した石原慎太郎。 
 
これは自民党の森喜朗元首相と自民党幹事長で長男の石原伸晃が強烈に説得したと伝えられている。
 
そういえば、2008年大阪府知事選挙への立候補が前年にメディアで報道された時、当初は「2万%あり得ない」と否定しながら、茶髪を黒髪に戻し、サングラスも外して平然と出馬表明をした橋下徹。
 
やはり、どこか共通するこの二人だが、さまざまな物議を醸し出す発言の類に関しての量も半端ではない。
 
石原慎太郎のウィキペディア」と「橋下徹のウィキペディア」を見ればよく分かる。
 
しかし、石原慎太郎の暴言・失言に関しては、こんな専門のサイトが活躍している。
 
都知事の任期を半ば残しての突然の辞任発表は「職場放棄」と批判されても仕方がないだろう。
 
<市民団体 「人の痛み分からない」 「都政より国政なのか」>
  2012年10月26日 東京新聞
知事選の度に圧倒的な人気で当選してきた石原氏。しかし、石原都政に厳しい視線を注ぐ市民の中には、辞職を歓迎する声もある。任期途中の辞職に、都政課題などに取り組む市民団体らはどう感じたのか。
 横田基地の騒音被害を訴える住民グループ代表の大野芳一さん(73)は「唐突な感じ」と驚く。大野さんは、騒音被害を軽く見た知事の発言を受け、23日に都庁を訪れ、抗議したばかり。石原氏が意欲的だった横田基地の軍民共用空港化には「飛行回数が増加し、騒音被害が広がりかねない。反対を続ける。次の知事になる人には、共用化や騒音被害の解消にどういう立場で臨むのか、公開質問状を出すことも考えたい」と話す。
 食品の放射性物質濃度を調べる「市民放射能測定室」を八王子市で運営する西田照子さん(65)は「人の痛みが分からない知事。やめてもらってありがたい」と歓迎する。
 調べた食品は1月の開設以来、1000件を超す。今月持ち込まれた静岡県産のキノコからは、1キログラム当たり500ベクレルの放射性セシウムを検出したという。「福島原発事故から1年半たった今も、何が汚染されているか分からない」と憤り、原発推進を求める石原氏を強く批判した。
 武蔵野市吉祥寺南町の主婦で市民団体「むさしの憲法市民フォーラム」事務局世話人を務める西村まりさん(73)は「都政より国政が大事ってことなんでしょうけど、請け負った職務を任期途中で放り投げるのは都民への裏切りと思う。ただ、個人的には石原さんが去られることを歓迎します。教育や東京外郭環状道路への対応を見ても、弱者の思いが分からない冷たい人だった」と話した。
 府中市を中心に朝鮮文化を伝える市民団体「チマ・チョゴリ友の会」代表の松野哲二さん(63)は「日中関係が険悪になったのは、石原知事が尖閣諸島の都有化を言い出したことがきっかけ。右翼的ナショナリズムに火を付けて自分の票につなげようとするなら、都政の私物化だ」と語気を強めた。
 
厚生労働省が公表した簡易生命表によると、2011年の日本人の平均寿命は女性85.90歳、男性79.44歳だった。
 
あくまでも「平均」であり、これを超えている80歳の石原慎太郎の場合は、余命が8.57歳らしい。
 
もう人生の付録を生きているようなものであり、晩節に入っている。 
 
「晩節を汚す」という言葉がある。 
 
それまで業績などで高い評価を受けてきた人が晩年になって失敗し、それまでの高い評価が台無しになってしまうことを表現しているのだが、この職場放棄した都知事に対して、
 
技術経営(Management of Technology)を専門にしているという人が「晩節を汚す石原東京都知事:日本経済の未来より長男の総理実現を優先する愛息家に成り下がる」というタイトルのブログで、こんなことを書いていた。 
 
・・・前略・・・
4.80年代、アンフェアな米国にモノ申したのは石原東京都知事だった
 80年代後半、日本にアンフェアな要求を突き付けてくる米国に怒っていたのは、なんと今話題の石原東京都知事でした。1989年、同氏は日の出の勢いであったソニーの盛田社長と共著で、名著“「NO」と言える日本”(光文社)を出版して大ヒットしました。この本は米国で英訳され、そのコピーが米議会に配られ、米政府高官や米議員の怒りを買いました。
 その後、この本は技術的記載がアバウトであると指摘する批判本(「NO」と言える日本への反論、古館真、明窓出版、1999年)が出版されていますが、それを気にした光文社から筆者に“「NO」と言える日本”の技術版を書いてほしいと依頼され、2003年、『日米技術覇権戦争』(光文社)を出版しました。そのきっかけは石原氏が当初関与していた一橋総研(注3)設立のシンポジウム(2002年頃)に筆者がパネラーで参加したからです。
 この当時、筆者の石原慎太郎イメージは依然として、宗主国アメリカ様にNOと言える日本人のイメージでした。確かに、当時の石原氏は自民党青嵐会メンバーであったことを彷彿とさせるイメージでした。なお、青嵐会は国士・故・中川昭一氏の父・中川一郎発起人の自民右派グループでした。
・・・中略・・・
7.息子思いが日本経済を劣化させると気付け
 石原氏の息子思いはわかりますが、そのために、80年代に持っていた愛国思想を捨てて米戦争屋に尻尾を振って、彼らの極東分断統治戦略に協力するというのは、やはり晩節を汚す行為ではないでしょうか。
 
少なくとも、このブログ主は自民党の衆議院議員だった80年代の石原慎太郎の言動を評価して、長男を総理大臣にしようとしていた現在の石原慎太郎に対して「晩節を汚す」行為だと批判しているようである。
 
前述した日本人男性の平均寿命から見れば、健康診断でもOKだったという石原慎太郎はあと10年近く「活躍」できそうである。
 
できれば、TPPと原発に関しては正反対の立場の「日本維新の会」と連携・連帯して、石原慎太郎の「危うい人気」にあやかろうと集まってきそうな既成政党からの「脱党組」を引き入れて、多いに矛盾だらけの政策論争をして欲しい。
 
ひょっとすると、石原慎太郎の晩節の最大の仕事は、乱立気味の「第三極」を混乱させ政界の再編成を促すことかもしれない、とオジサンは思っている。 
posted by 定年オジサン at 12:36| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 石原慎太郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする