2018年07月09日

昔はフィクサー、いまはコンサルタント


オジサンが若い頃、政治や経済の世界では、当たり前のようにフィクサーと呼ばれる人物が暗躍していたものである。
 
そのフィクサーとは、こんな風に定義されている。
 
行政組織、政府や企業などの社会組織では、通常は関係する人間や団体の意向(広くは世論)を踏まえたうえで、正規の手続きを取って意思決定を進める手段が確立されている。例えば、行政への陳情、選挙や企業における稟議や経営会議などである。そのような正規の手段によらず、意思決定の過程に介入する資金、政治力、人脈などを持つ人物がフィクサーと呼ばれる。フィクサーが介入すると往々にしてその手段は公正でなく恣意的な結論となる場合がある。一方で、理想と現実の間で複雑化する人間関係や利害関係を円滑にすすめる役割を果たす場合もある。
Wikipediaより) 
 
特に政界においては語り草になっているフィクサーは児玉誉士夫を超える人物は見当たらない。
 
そもそも、児玉誉士夫なる人物は、もはや伝説的になっている。
 
第2次世界大戦中は中国に渡り,軍部に協力,上海に海軍物資を調達する「児玉機関」を設立した。戦後はA級戦犯として収監されるが,出獄後,巨額の資金を鳩山一郎の自由党に提供し,戦後保守政界の黒幕となった。吹原産業事件はじめ政界スキャンダル事件が起るたびにその名がささやかれた。ロッキード事件では,1972〜75年の総額 19億 1000万円の脱税と,クラッター元ロッキード社東京事務所代表から約9億 5000万円を受取ったとして外国為替管理法違反に問われた。
 
結局、この男は懲役3年6ヵ月・罰金7億円を求刑されたが,重病のため判決は延期,さらに本人死亡により公訴棄却された。
 
フィクサーと言われるような人物はこのくらいのことは当たり前のようにやっていた時代であった。
 
最近、不祥事続きの文科省では、「文科省汚職 理事長と学長関与か 東京医大側が便宜依頼」という贈収賄事件が発覚したがかつてのフィクサーが活躍した金額からすればゴミのようなものであった。
 
いわゆる文科省の助成金が欲しい大学側の意向を受けて、文科省の助成金の決定権がある官僚に働きかけ1年分の補助として大学側は年間3500万円の交付を受けたという、金額的にはセコイ事件なのだが、その仲介したのが、医療コンサルティング会社元役員であったという。
 
まあ、さまざまなコネを使って、そのコンサルタントと称する容疑者は医療コンサルタントとして活動するようになり、大学の理事長と知り合い、文科省側の官僚とも面識を持ったと、報じられている。
 
「コンサルタント」という名称は、多くの分野で活躍しているが、経営コンサルタントとか投資コンサルタントなどと呼ばれる怪しげなコンサルタントも多い。
 
結婚業界でも、ブライダルコンサルタントという職業が存在するが、葬儀ビジネスの世界でも同様な職が存在する。
 
8年前、オジサンが定年退職で6月30日に職場を去ったが、オジサンの母も5年近い老人施設生活から今年の6月30日に施設を遺体として去った。
 
その時、オジサンは11年前父の葬儀で使った斎場を探し遺体の引き取りを連絡したのだが、遺体を引き取りに来た人物は、隣の市にある「○○典礼」という会社の従業員であった。
 
そして翌日、市内の斎場に隣接している葬儀施設に出向き、葬儀担当者と詳細な打合せをしたのだが、その担当者はその葬儀場を借りて葬儀全般を取り仕切る、「○○典礼」の名刺を持っていた。
 
すなわち彼は「葬儀コンサルタント」であり、他人の施設を借りて通夜と告別式という一連の葬儀イベントを取り仕切り、通夜の晩の食事、いわゆる「通夜振る舞い」などはやはり隣の市の業者のケータリングを使うというプランを提案した。
 
昨夜の母の通夜は「家族葬」ということで祭壇は多くの花で飾られ、目障りな送り主が書かれた生花は一切なくシンプルなものであった。
 
臨済宗派の菩提寺から来た僧侶は父の葬儀の時にやってきた僧侶の息子であり、読経の後の参列者に対する説教もまだ修行中といった、ある意味では新鮮さが漂っていた。
 
読経が終わり、喪主から順に焼香をして、僧侶の説教の後再び遺族の焼香で終わるという定番の流れのところを、棺の蓋を僅かずらし故人の顔が見えるようにして、僧侶が持っていた長い数珠を参列者に渡し順次故人に別れの挨拶をさせて焼香して、その数珠を次の参列者に渡すという、数珠リレーが行われた。
 
これはオジサンが今まで経験した通夜の流れにはなかった斬新なことであった。
 
通夜式の閉式後、僧侶に、「先代の時にはこのようなことはしませんでしたが・・・」と尋ねるとどうやら自分の父と異なる色を出すがためのオリジナルだったらしい。
 
オジサンの妹の夫や息子にはたらふく飲ませ、食べなれた物を腹一杯食った3人の孫たちは、広いホール内で運動会を行っていた。
 
2月生まれながら寒さに弱かった母が、梅雨明けの真夏日に近い暑さの晩に、孫やひ孫に囲まれて本望であったであろう。
 
今日は10時半から告別式だが、昨夜日曜日に参列したオジサンの娘、息子の一家は平日で皆忙しく、年金暮らしのオジサン夫婦とオジサンの妹夫婦の4人で母を見送ることになった。
 
棺には生前母が使っていたテレホンカードや複数の医療機関の診察券を入れてあげて、三途の河の向こうでの生活に困らないようにしようと思っている。  
posted by 定年オジサン at 10:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月01日

老衰で大往生の母の死


僅か1週間ほど前に、「終末期の過ごし方」で最後にこう結んだ。
 
今後は、「看取り介護計画書」が作成されるという。
これは簡単に言えば、看取りに特化したケアプランで、いつ、だれが、どのように、何をするのかが立案されるという。
危篤状態ではないので、いつその時期がくるのかは全く不明だが、1年とか2年という期間ではないことは確からしい。
医師の検視後の新しい着替えの服の話しを聞くと、直ちに葬儀までの段取りを真面目に考えなくてはならない時期に来てしまったので、今年の夏はいつもとは異なる季節になるかもしれない、とオジサンは覚悟した。
 
例年より早すぎる真夏日になった昨日の午後、余りの暑さに食後は午睡でもと思っていた頃、母が入居している施設の若い男性介護士から電話が入った。
 
お母様がご逝去されました
 
確かに先週の嘱託医は話の中で、「『老衰状態』というのはいつ、その時が来るかはわかりませんが、過去には他の施設で看取りの説明をした数日後に亡くなった方もいらしゃいました」と言っていたことを思い出した。
 
さっそく妻と車で向かったが、午前中、外の雑草刈で忙しかった妻は昼食を摂りそびれていた。
 
施設に到着し看護師や介護士たちに案内されて母の部屋に入ると、いつものように眠っているかのような母がいた。
 
額や顔は冷たかったが胸に組んだ両手はかすかなぬくもりがあった。

「看取り計画書」をもらう前に亡くなってしまった。
 
嘱託医から死亡診断書を渡され、別室で葬儀社に連絡し遺体の引き取りをお願いした。
 
死亡診断書はいたって簡潔で、「死因:老衰」と記され、母の顔は苦しんだ後もなく、まさに安らかな大往生だったらしい。

別室で妻と待っていると、初めて見かける「館長」という名刺を持った男性が、「早速ですが・・」と言いながら「退所届」書を持ってきた。

終の棲家といわれる「特養」では、遺体となって施設を出るしかなく、施設側としても入居待ちの高齢者が多いので、一刻も早く後片付けをしたかったのだろう。

施設に預けていた母の一連の書類等の一覧が退所届には記入されそれぞれ確認させられた。

「介護保険証」、「後期高齢者医療保険証」、「限度額認定証」、「介護保険負担割合証」、そして診察券が2枚。
 
1時間ほどして葬儀社から迎えの車と担当者兼運転手がやってきた。
 
小柄な誠実そうな中年男性だったが、オジサンは思わず、「突然お呼び出してすいませんでした」と言ったところ、「私たちは常に24時間体制ですから」と至極当たり前のことを何気なく答えた。
 と
そんなことを言ってしまった自分が恥ずかしくなった。
 
その後は極めて事務的な話があり、明日は8時半から9時に担当者から電話があり、打合せに来ていただきます、と告げられ、母の遺体を丁寧に包んでストレッチャーに乗せて一人で車まで運び、施設の全職員のお見送りを受けてその車は去った。
 
その後妻と3年余り世話になった個室の衣服を中心とした遺品整理を行い、大型ビニル袋4つに詰め込んで車のトランクに入れて施設を後にした。
 
11年前の父の時とは異なり親類には知らせず、近親者のみでの葬儀の準備を検討することになった。
 
つくづく、深夜や早朝の呼び出しではなかったことを母に感謝したいとオジサンは思った。 「合掌!

          
 
posted by 定年オジサン at 08:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

終末期の過ごし方


定年退職して認知症の母の介護認定を取り、デイサービスやショートステイの介護保険サービスを利用しながら介護保険法に基づく介護老人保健施設(老健)に入居させた。
 
この施設は病状安定期にあり、入院治療をする必要はないが、リハビリテーションや看護・介護を必要とする要介護者が対象者なのだが、自宅で圧迫骨折して、医者に誤診され暫し対処されずに脊柱管が圧迫され下肢麻痺状態となり車椅子頼りの母にとっては、少々キツイ施設であった。
 
リハビリできる体の比較的元気な高齢者達とはうまく付き合えずイジメに遭っていたらしい。
 
通常は1年ほどだが2年間入居し、ようやく新しくできた老人福祉法に基づき認可された介護老人福祉施設(特養)に2013年10月に「終の住処」として入居した。
 
その後施設では比較的広い個室で、若い介護士たちのお蔭で快適な生活を過ごしていた。
 
特養では医療行為をすることができないため、原因不明の発熱の場合や痰が絡み呼吸困難な状態になった場合は、ためらわず救急車を呼び短期間の入院をさせるということが数回繰り返されてきた。
 
認知症の老人が施設を離れて病院での入院生活となると病棟の看護師による極めて機械的な看護を受けることにより、個人的な会話時間が減り認知度が酷くなる傾向があり、母も例外ではなった。
 
2週間ほどの入院生活をお送り施設に戻ると、徐々に元気となってきた。
 
しかし93歳を過ぎた今年に入って嚥下能力が低下し、口も満足に開けられないという状態が続いてきた。
 
本人の尊厳を無視するかのような延命処置はしないでくれと施設の看護師長には伝えておいた。
 
胃ろうや栄養剤の静脈点滴などは基本的には断り、できればゆっくりと安らかな終末期を迎えさせたいとの家族の希望を伝えていた。
 
しかし施設としては「看取り」は環境が整っていないためできないと断られていた。
 
そもそも、介護保険には「看取り介護加算」が設定されており、介護における加算とは、基本のサービス料の他にサービス内容によって料金が増加することで、要件を満たせば、サービス料に付加されて事業所の収入になる。
 
下記の条件を満たせば加算の対象となるらしい。
 
@常勤看護師(必ずしも常駐でなくてよい)を1名以上配置し、施設又は病院等の看護職員との連携による24時間の連絡体制を確保していること。
A看取り指針を定め、入所の際に本人・家族等に説明し同意を得ていること。
B看取りに関する職員研修を実施していること。
C医師が一般に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した場合であること。
D本人や家族等の同意を得て、介護計画を作成していること。
E医師、看護師、介護職員等が共同し、利用者の状態を、随時、本人や家族に説明し、同意を得て介護を実施していること。
F医師、看護師、介護職員等が協議の上、当該施設の看取り実績を踏まえ、適宜、看取りに関する指針の見直しを行うこと。
G看取りを行う際に個室または静養室が利用できるよう配慮すること。   
        
すでに個室に入っている母に対して看取り介護加算金を得るには、物理的な条件はクリアしており、後は施設側の問題であった。
 
今年の3月末には、今までの嘱託医から新たにクリニックの医師に代わり、その医師が看取りを行うことになったと聞かされ、対象の入居者には順次説明するとのことであった。
 
そしてついにその順番が回ってきた。    
  
先週末に、母が入居している施設の施設長から呼び出しの電話があった。
 
新しく嘱託医になった近くのクリニックの医師が施設での「看取り」について説明をするという。
 
事前に送られた母の6月からのバイタルチェック表を見ると、体温と血圧は特に心配するほどではないが、脈拍の高低差が甚だしく、100から60までを繰り返していた。
 
しかし最大の問題は今までのように刻み食をスプーンで食べさせることが困難となり、太い注射器の様なもので口の脇から挿入して与えているとのこと。
 
昨日会った若い医師によれば、今後も注視するが老衰に近い状態であると告げられた。

以前に、点滴による給水や栄養補助は止めてほしいと言っており、施設としては可能な限り経口摂取を行うが、本人の耐え難い苦痛の場合は、施設側の判断で救急病院への搬送をさせていただくことを了解してほしいと言われた。

そして、以下の3枚の書類に署名した。

@「当施設での看取りについて」(重要事項説明書)
A「急変時・終末期の対応に関する意向確認書」
B「看取り看護についての同意書」
 
今後は、「看取り介護計画書」が作成されるという。
 
これは簡単に言えば、看取りに特化したケアプランで、いつ、だれが、どのように、何をするのかが立案されるという。
 
危篤状態ではないので、いつその時期がくるのかは全く不明だが、1年とか2年という期間ではないことは確からしい。
 
医師の検視後の新しい着替えの服の話しを聞くと、直ちに葬儀までの段取りを真面目に考えなくてはならない時期に来てしまったので、今年の夏はいつもとは異なる季節になるかもしれない、とオジサンは覚悟した。

posted by 定年オジサン at 12:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

オジサンの息子の挑戦


実は、今年の8月ころから地元の整形外科のリハビリに通っている。
 
10年前に脊柱管の後ろ部分の縦の靭帯が「骨化」するという、「後縦靭帯骨化症(OPLL)」という難病の治療のための手術をした。
 
難病には大きく分けて2種類があり、原因が不明だが対症療法があるものと、原因は明らかだが治療方法がないものである。
 
オジサンの場合は前者で、脊柱管を圧迫している原因を取り除くということから、頸椎を一部を切り取り広げるという手術を行った。
 
しばらくは体の左半身にあった痺れが改善され、左足も思うように動作するようになった。
 
しかし術後8年目を迎えた頃から、首の左側に断続的な痛みを感じるようになった。
 
レントゲンとMRIで確認したところ、再び脊柱管の一部が狭くなっておりそこから出ている神経が圧迫されているとの診断であった。
 
いまさらあのような手術をする体力も気力もないので痛み止めをしばらく服用した。
 
そして10年目に入った今夏ころ、40歳の時右膝半月板損傷で入院した地元の整形外科尋ねたところ、神経系の問題なので薬で痛みを和らげるよりも、首回りの筋肉ならびに全体の筋肉のリハビリを勧められた。
 
最初のリハビリ時に担当の理学療法士(PT)さんによって体の様々な部分の測定、診断をしてもらったところ、左右の握力が手術前と変わらないほど低下していた。
 
さっそく、その晩から書斎にあった3kgの鉄アレイを見つけて使い始めた。
 
そして、このアレイにまつわるオジサンの息子の10代の頃の懐かしい出来事を思い出した。
 
以下に、当時のオジサンの「つぶやき」(2003年3月〜4月)から再録することにした。
 
時間的に余裕がある時に読んでください。 
 
【オジサンの息子の挑戦:その1】
成人の体重をすでに保持している息子が中学校に通い始めた頃の出来事である。
ある日学校から帰ってきた息子がナント運動部に入りたいと言う。
残念ながら「相撲部」はないらしい。
両親は当然のように「水泳部」を進めた。
さまざまな部活紹介を検討した結果、息子は「体操部」を選んだ。
「でんぐり返し」も満足にできない(当然か!)あの息子が、である。
もっとも野球部やサッカー部は100名近くの部員がいるのでとてもお呼びではないらしい。
それに比べるとはるかに「地味」な体操部の当初の新入部員は14名。
先輩は4名。
さっそくお試し練習が始まった。
なぜか息子は「特別メニュー」らしい。
体育館の中央で仲間がマット運動の練習をしている間、息子はズ〜ト周囲を走らされた、と言う。
3日目にやっとマット運動を許可された。
「おい、チョット倒立してみろ!」
両足で自分の体重をかろうじて支えている人間が、どうして両手でそれをできようか?!
一瞬、息子は凝固したそうな。
しかし、まだ「仮入部」期間中である。
やさしい先輩は、「補助」をしてやると言ってくれた。
意を決して息子は少し助走して果敢にも両手をついた。
「でんぐり返し」も満足にできない人間が、本気で倒立をやったらどうなるか・・・・・・・・・・・・・・・・・
やはり予想通り、息子の両足を持ったままその先輩は後に倒れ腰を痛打した、と言う。(合掌!)
その後、先輩の回復状態は良好とのこと。
しかし、息子との関係は「険悪」らしい。
「もっと腕の力をつけてこい!」
厳しい先輩の指令が下った。
 
「鉄アレイを買ってくれ!」
真剣な息子の眼差しに負けて、ある日仕事帰りに探してみた。
某東急ハンズに今風の「アレイ」があった。
わずか3Kgで2700円。「片手」分の値段である。
鉄アレイを両手でやりたいという息子の注文だと5400円。
ぎょ! 高すぎる!
「毎日、交互に片手づつやるんだぞ」
我ながら言ってしまった後「少々無理があるな」とは思ったがけげんな顔をしながら、息子の「倒立」への挑戦が始まった。・・・・・・・・<続く>

 
【オジサンの息子の挑戦:その2】
親の驚きを尻目に、大胆にも「体操部」に入部した息子。
創部以来の「超大型新人」といわれ、仮入部期間中に、「倒立」をやって先輩を痛め付け、自分の「腕力」のなさを自覚した息子。さっそく「鉄アレイ」を買ってやったオジサン。
その後は如何に・・・・・・・・・・・・・・
体操部への「仮入部員」は14名いたが、「正式入部」時点で5名に激減したという。
どうも息子の「倒立」を見て自信をなくしたのか? または恐怖心が湧いたのか?
それとも、「こんなヤツと一緒にやるのか!」と幻滅したのか?
少なくとも、「体操部」のイメージを大いに変えたことは事実である。
が、真相は未だ不明である。
1ヶ月前に買ってやった「鉄アレイ」のお陰か、息子の「腕力」には目覚しい成果が現れてきた。
小学校時代には夢物語であった「腕立て伏せ」が連続回できるようになった。
毎晩、時間の許す限りオジサンの食事中に「実演」してくれる。
小学校時代の「腕立て伏せ」は、必ず足以外の体の一部が地上から離れなかった。
それがどうだろう!
確かに体が床からシッカリと離れている。
まぎれもない「腕立て伏せ」である。
3Kgで2700円も決して高い買い物ではなかったわけだ。
しかし、学校では相変わらず練習は息子だけ「スペシャルメニュー」が続いている。
こんなに走らされる「体操部員」も珍しいらしい。
「それは先輩による復讐と苛めじゃないの?」
かわいい我が息子を心配して母親は問いかける。
「そんなことないよ!!」
息子は反発する。
(そうか、そうか、よしよし!)
数年前、山形県のある中学でおこった「マット昆布巻き苛め殺人」が頭をよぎる。
しかし、待てよ。
あの中学校には、息子を「昆布巻き」にするほど力のある先輩はいない。
まあ、その点は特に心配はいらないか?
むしろ、ひ弱な「先輩」を傷つけはしないかと心配する程である。
息子の「倒立」への挑戦は続く・・・・・・・・・

 
【オジサンの息子の挑戦:最終回】
親の驚きを尻目に、大胆にも「体操部」に入部した息子。
創部以来の「超大型新人」といわれ、仮入部期間中に、
「倒立」をやって補助してくれた先輩を痛め付け、
自分の「腕力」のなさを自覚した息子。さっそく「鉄アレイ」を買ってやったオジサン。
その成果は如何に・・・・・・・・・・・・・・
☆★☆前回までの話☆★☆
 
3Kgで2700円の鉄アレイのお陰でめきめきと腕力をつけた息子。
第一段階として正統「腕立て伏せ」を見事クリア!
しかし相変わらず「スペシャルメニュー」は続く。
母親は「いじめ」ではないかと心配。
反発しながら息子の挑戦は続く・・・・・・
 
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「腕立て伏せ」で自信がついたのか、帰宅してくるたびに成果を披露する息子。
先日の夜は、オジサンの寝室に突如乱入し「寝室前転」ならぬ「伸膝前転」
「見てくれ!」と言うが早いが止める間もなく即実行。
「前転」と「でんぐり返し」が紙一重という程度の技量状態の人間が昼間の暖かな日差しを目一杯浴びた「布団」の上で「伸膝前転」を試みたらどうなるか?!
無駄な説明は必要ない。
息子の二本の太い足が伸びたまんま布団の上に落下し、両手で一生懸命立とうとして布団をわしづかみにする。
安眠の世界へいざなうべくオジサンを待っていた布団は、あわれスルメ化してしまった。
よくよく聞くと、新入生で「伸膝前転」を上手くできるものはいないとか。
それなら、おまえができる、わけがない!
強く戒めてその晩は退却させた。
ある日の日曜日。
どうしても「倒立」をやりたいから補助してくれ! と息子が哀願。
(資金援助でなくてよかった?)
「家の中ではいけません! 外でやりなさい!」
無茶な事を言う母親。
実は、「伸膝前転」初公開の夜、1階は大変な衝撃があったと言う。
築20年の木造住宅に与える影響は、想像以上であったようだ。
母親の許可が降りなかったのでオジサンと息子は近くの小学校へ行った。
もちろん休みなので体育館は使用できない。
唯一ひとに迷惑をかけない場所が、野球のバックネット前。
下は砂地。
バックネットの枠は鉄。
これなら大丈夫。
よし! やって見ろ!
オジサンの一声で果敢に挑戦。「おりゃー!」
次の瞬間、バックネット前にうづくまっていた息子の姿があった。
砂が両手に食い込み、勢いよく振り上げた足はネットに跳ね返りあえなく自爆。
その後も「ランニング」と「柔軟」主体の練習は続く。
ある晩、遅く帰ってきた息子が
「今日は本当に泣いたよ!」
なに! 遂に先輩のいじめが始まったか!
色めきたつオジサンと息子の母親。
真実は違った。
新入生全員に「股割り柔軟」が課せられたと言う。
少々いたがる者には先輩が2人掛かりで無理矢理足を開かせた、と言う。
これが娘にだったら集団○○○じゃ!
しかし厳しい特訓のお陰か両足が開いて床に付くようになっていた。
体重は立派でもまだまだ子供の体である。
「鉄は熱いうちに打て」
「筋肉は柔らかいうちに鍛えよ」か。
先週の水曜日の夜。
遂にその時が来た。
部活では軽い補助でもう「倒立」ができるようになった、と本人は言う。
今日はどうしても見てもらいたい、ときた。
「こんな狭い台所じゃだめです!」
いつものように母親は騒ぐ。
しかし、今晩の息子の目つきはいつもとは違う。
自信に満ちているように見えた。
「よし、扉に向かってやってみろ!」
オジサンの一言で何気なく両手を付く息子。
軽く蹴った足が扉に触れる。
決して追突ではない。
おおーっ! できた!
立っている、両手で!
どこからとも聞こえてくる拍手。
沸き上がる歓声。
苦節80日余り。
この間、息子は6Kgも体重が減っていた。
ダテに練習をやっていたわけではなかった。
初めて我が息子を誉めてやりたい気持ちになった。
普通の子供ならなんでもない「補助倒立」
息子にとっては「大胆な挑戦」
程度の差こそあれ、目標に挑戦することは素晴らしい!
倒立の補助をしてくれた扉には、こう刻まれた。

『初めて両手で立った、今日は君の倒立記念日!』


 
この息子も今では2歳になろうとする娘の父親。

父親はなにもアドバイスもしなかったのに、オヤジとおなじような業界で働いているらしい。
 
結婚前には彼女に「東京マラソンで完走したら結婚してくれ!」と言ったかどうかは不明だが、初マラソンながらも4時間くらいかけて完走したという。
 
もう立派に父親を追い越していた。
 
最後までお付き合い、ありがとうございました。

posted by 定年オジサン at 12:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

今年もやってきた4歳園児の子守り

カラ梅雨の影響で、すでに10%の取水制限が行われている関東の荒川水系では、今後しばらくまとまった雨が降る見込みがないにもかかわらず、気象庁は去年より10日早い関東甲信地方の梅雨明けを発表した。
 
既に連日都内でも猛暑日が続いていたのだが、梅雨明けは気象庁の発表を待たねばならず、たとえ優秀な気象予報士でもそれはできないらしい。 
 
オジサンの小学生の頃の夏休みは「40日間」が定番であった。
 
今年も全国的には若干の差異があるものの7月21日から夏休みに入る小学校が多い。
 
大体、それにしたがって幼稚園も同様に夏休みとなる。
 
もっとも最近では、「小中学校の夏休みを10日間に短縮へ…理由は教員の残業時間?」という学校も出始めているが、当然ながら、「学校の夏休み短縮に反対します」という声が多いのだが、結論的には「夏休みの教育的効果について熟慮をしないままの安易な短縮は、百害あって一利なしといえるのではないでしょうか。」といったところが大勢を占めているようである。
 
話しを戻して、夏休みでも専業主婦がいる家庭では特に問題ないが、といっても毎日家の中で一緒に過ごすことは困難なのだが、一応親が子供の生活をそれなりに管理はできる。
 
しかし最近では、2015年8月28日に女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)が国会で成立したことにより、働く場面で活躍したいという希望を持つすべての女性が、その個性と能力を十分に発揮できる社会を実現するために、女性の活躍推進に向けた数値目標を盛り込んだ行動計画の策定・公表や、女性の職業選択に資する情報の公表が事業主に義務付けられた。
 
といっても特に働きたくない、またはその必要がない女性にとってはどうでもよい法律であった。
 
現実には働き手の夫が今までに比べて大きく残業時間を減らされ、その不足分(残業手当相当)を補うために妻が働き始めるという例が圧倒的なのである。
 
男性の異常な過密労働が緩和され過労死が減少することは素晴らしいことなのだが、毎年の賃上げもほとんど家計に寄与していない状況では、夫が早く帰宅することは収入減となることは目に見えている。
 
残業しなくても親子4人の家庭生活が維持できる賃金を求めることは、「企業第一」の安倍政権下ではかなわぬ夢である。
 
昨年の今頃も10年ぶりに仕事に復帰したオジサンの娘から、「金曜日は幼稚園がお休みなので、園児が家に一人っきりになってしまう」から当時3歳になる男の孫を預かったことがあった。
 
そして今年は、今日から小学校も幼稚園も夏休みに入り、孫たちの両親は朝から通常の仕事のため、小学4年生の長女と幼稚園の年中組の4歳の長男が朝からわが家に父親に送られてやってくるという。
 
昨年の3歳児が4歳児になったので少しは違うのかどうかは分からぬが、今年はさらに4年生の姉も一緒に面倒を見なければならなくなった。
 
冷たい飲み物と食べ物を与えておけば済むという話ではない。 
 
はっきりしているのは、いつものようにブログ作成に集中することは不可能である、ということである。

posted by 定年オジサン at 07:13| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

母の片道キップの入院が始まる

先週、4度目の入院を終えて1か月半ぶりに施設に戻ったオジサンの92歳になる母親について施設の相談員から昨日連絡が入った。
 
施設に戻って元気になった、という話ではないことは覚悟していたが、まさにその通りで、「食事量は大体2〜3割程度で、余り水分も取られていない」、「嘱託医の健診では肺の音が良くない。誤嚥している可能性もある」とのこと。
 
要するに特養という施設では今後医療行為をすることはできないので、医療行為が可能な施設に移って欲しいと、遠まわしの退所勧告のようである。
 
紹介された病院で診察を受けその結果、施設には戻ることが無理なので入院ということになりそうである。
 
初めての病院なので、嘱託医に紹介状を書いてもらい診察予約をとり、施設から病院までの介護タクシーの手配をした。
 
4度目の入院を終えて施設に戻る」の最後で、「施設からの入院は3度目だが、次回、救急搬送されたときには、病院で『看取り』されるかもしれない、とオジサンは覚悟している」とつぶやいたが、今回は救急搬送ではないが、片道キップの病院送りになりそうで、もう再び元気な姿では退院できない思った。
 
今日は、これからオバサンと母の入院セットを持って、母の施設まで行き介護タクシーに母と同乗して病院に行くことになる。

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2017年04月12日

大往生にはまだ早い、4度目の入院の母

昨日は朝の8時にオバサンと家を出て、施設に入居している母を搬送してくれる介護タクシーを隣区の市立病院前で待った。 

9時過ぎに介護タクシーから車椅子のまま降りた母は、相変わらず自分がなぜ、ここに来たのかはわかっていない。
 
施設の嘱託医の紹介状を持って窓口に行き、簡単な問診票に記入し総合診療内科の前で待たされた。
 
予約は10時からの枠というのだが診察室に入ったのは10時半頃。
 
ここから「待ち時間」との戦いが始まった。
 
若い女性の医師は施設の看護師が作成した直近の母のバイタルチェック表を見ながら、微熱状態が断続的に続いていますね、と言いながら、聴診、触診した後、「それではレントゲン撮影とCTスキャン、採血と採尿をいたします」と言って、病院内の誘導路の地図を渡してくれた。
 
オジサンが以前入院したことのある大学付属病院は、かなり古く、外来は1階だが検査室はすべて地下であった。
 
そのため車椅子患者の移動は楽ではなかった。
 
それに比べれば最新の設備を備えたこの市立病院は、同一フロアで全て治療や検査が行われるので移動に関しては問題はない。 
 
レントゲン撮影とCTスキャン撮影は比較的早かったが、採血が大問題であった。
 
一般に採血はいずれかの腕の上腕部を止血して血管を浮かび上がらせそこから注射針を入れるのだが、施設で「かなりの浮腫み」があるとのことで診察を受けることになった母の腕は浮腫が広がり、血管がなかなか浮かんでこない。
 
従って看護師たちは手の甲からの採血を試みたようだが、かなり激しい痛みを訴える母の声が外の待合室にいるオジサンまで聞こえてきた。
 
採血と採尿に40分以上もかかり、看護師が採血した血液の入った容器を数本持って分析室に向かったときは12時半を回っていた。
 
そしてようやく再び医師の診察室に呼ばれたときは14時を過ぎていた。
 
もちろん、その間は何も口にできない状態であった。
 
最初に医師からは血液検査結果を告げられた。
 
アルブミン:1.6」↓・・・下限値3.9以下
CRP:10.52」↑・・・・・・上限値0.30を大幅超
白血球数:102」↑・・・・ 上限値93超
ヘモグロビン:8.9」↓・・ 下限値11.2以下
BNP:98.0」↑・・・・・・上限値18.4大幅超
 
「CRP」や「白血球数」などの数値が異常に高ければ感染症の疑いが強いことはオジサンでも分かった。
 
初めて目にした「アルブミン」とは、「血液の浸透圧調整の役割を担う」機能があり、アルブミン濃度が下限値を大きく下回ると、血管から水分が体内に流出し浮腫の原因となる。

「BNP」とは「脳性ナトリウム利尿ペプチド」と呼ばれ、長時間心臓に負担がかかると主に心室から分泌されるホルモンで、血液中の濃度を調べることで心不全や心肥大など心臓病の有無を確認することができる。 
 
それにより肝疾患や栄養失調やタンパク質摂取不足となり、さらに白血球数とCRPが上限値をかなり上回り明らかな感染症の症状で即入院と決まった。
 
6年前に最初の入院をしてから、「母の退院そして介護へ」と自宅での本格的な介護が始まって4度目の入院となった。
 
「栄養失調やタンパク質摂取不足」の原因としては、最近、ますます嚥下能力が低下し水もまともに飲めず咽つく程なので、食事はトロミ入りの刻み食であるので、摂取量が半減していることが大きい。
 
担当医師はこの説明後、今後の入院治療はCRPの低減のための抗生物質の点滴とアルブミン濃度向上のための栄養補給点滴があります、と言いながら1枚の同意書をオジサンに示した。
 
それは「中心静脈へのカテーテル挿入処置の同意書」であった。
 
採血に数十分もかかるほど抹消静脈からの点滴が困難な場合は、中心静脈と呼ばれる「血液が心臓に戻る直前の静脈および上部の下大静脈」までカテーテルを挿入し点滴を行う処置があるという。
 
しかしその処置には、首の横にある内頚静脈に穿刺することから、合併症発生リスクがあるという。
 
年老いた母の首に針を刺して栄養補給する前に、通常の食事療法での回復を試み、結果が思わしくない場合に改めて相談してほしいと、その場での同意書には署名しなかった。
 
最後に医師は胸部レントゲン写真を見ながら、BNPの数値がかなり高かったにもかかわらず心筋梗塞の恐れもなく心臓は特に問題はないと言うが、CTスキャンされた腹部断面画像を見せながら、肝臓内にある小さな白い点が結石ですと、画像では良く分からないので下図のような絵を描いてくれた。
 
20170412tankankesseki.jpg     
 
実はこの結石は昨年もあったらしいのだが、これ以上大きくならなければ問題ないらしいが、徐々に胆管を塞ぐようになれば再び感染症が発生し、その時の結石の除去は92歳の体にはかなりの負担になるとのこと。
 
3年前にも尿路結石から腎盂腎炎になり入院した母。
 
どうやら体質的に結石ができやすいらしい。
 
看護師からは「92歳にしては顔がきれい」と褒めれても少しもうれしそうな顔をしない母。
 
世界保健機関(WHO)が発表した2016年版の「世界保健統計」によると、日本の女性の平均寿命は87.5歳とか。
 
あくまでも平均なので、もう92歳ではなく平均よりわずか5年ほど上回っている程度かも知れない。
 
今後も、施設から病院(入退院)の繰り返しが続くと思われるが、まだまだ「大往生」までにはかなりの時間がかかるのではないだろうか、とオジサンは思う。

posted by 定年オジサン at 11:52| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

またもや緊急入院か!?

今年の2月に満92歳を特別養護老人施設で迎えた母。
 
女性の平均寿命をはるかに超えている。
 
毎月、施設を訪れるのだが最近はいつもベッドに横たわっている。
 
車椅子に座ることが苦痛らしいと介護士の男性が教えてくれた。
 
自慢の歯があるにもかかわらず、嚥下機能が低下し食事は毎回ミキサー食らしい。
 
満足に栄養も摂取することが難しくかなり体力が無くなり、手足はほとんど骨にかろうじて皮がついているようである。
 
会話も少なくなり長男のオジサンの顔は自分の亡くなっている長兄といつも間違えている。
 
しかし結婚して同居し母と一緒の時間がオジサンより長かったオバサンの顔はしっかりと覚えている。
 
昨年の10月には、「緊急電話『血中濃度低下』母の緊急入院」の中で、「朝食後、朝刊を完読し書斎に戻り今日のブログの検討を開始した頃、母が入居している特養から電話が入った。
生活相談員から『お宅のお母さまが今朝のバイタルチェックで、血中の酸素濃度が90%を割りました』といわれ、とっさに9年前の亡父の最期を思い出した。」と書いて、それから約1週間の入院生活を過ごした母。
 
そして「今後の推移によっては、当分は目を離すことができない状態になった。」とつぶやいた。
 
昨日の昼過ぎにまたもや特養から電話が入り、生活相談員の話では「お母さまの排尿量が300ccほどになっており、かなり体にむくみが生じています。嘱託医が診たところ、腎臓機能が低下している可能性もあり至急総合病院で検査を受けてもらいたいとのことで、先生が紹介状を書き、昨年入院した病院を明日の午前中に予約しました」とのこと。
 
そんなわけで、今日は朝食も抜きで施設から介護タクシーで搬送される母を市立の総合病院前で迎えるために出かけることになった。
 
詳細な検査の結果、またもや入院になる可能性も大きく、はたして施設に無事に戻れるのか、それが最大の心配である。
 
同施設には100歳超の女性も入居しているとのことだが、自分で歩けず、食事もできず、排泄もままならない状態で寝たきりで最期を全うするのか、そんな時期が段々と聞かづいているのでは、とオジサンは思っている。

posted by 定年オジサン at 08:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

世界を陰で支配する数式がある

2013年から2019年3月31日までの期間で、祖父母などから教育資金の一括贈与を受けた場合、贈与税が非課税になるという話があった。
 
ところがいざ中身を調べてみると非課税になるための申請手続き等が面倒なことから、利用者の話はあまり聞かなくなった。
 
もっとも「1500万円迄非課税」ということから、それ以上の資産があり、かつ自分たちの老後の心配がない裕福な祖父母ということから、オジサンには全く別世界の話であることが分かった。
 
それでも長期の高額なローンを抱えている娘一家の長女のために少しでも手助けのつもりで孫娘の幼稚園入園(2011年頃)から、毎月「たのしい幼稚園」という月刊雑誌を送ることを始めた。
 
ネット通販会社で年間契約を結べば毎月600円ほどの雑誌が本人名義で送られる仕組みであった。
 
3年間の幼稚園生活が終わり、今度は小学生の雑誌かと思った時に、専用タブレットを使う受講システムがあると孫娘の母親から勧められ、言われるままに契約したら月平均4倍以上の金額になってしまった。
 
しかし、孫娘がタブレッレを使って各種の教科の学習を行うと、その学習結果がオジサンのメールに自動的に送られる仕組みになっていた。
 
そのため毎日、毎晩、いつごろどの程度の学習をしたのかが分かり、それに対して感想メールを送ることができるので、孫娘とのネット上の会話をすることができた。
 
オジサンの感想メールに対しての返事はタブレットにペンで「絵手紙」形式で送られてきた。

4月から4年生になる孫娘は算数に興味を持ってきたようで、単なる加減乗除の計算は面白くないらしく、オジサンにこんな問題を出してきた。
 
「F」にはいったいどんな数字が入るでしょうか?

 5☆4 → 1 ・・・これだけなら「☆」は「−」
 
 6☆3 → 9 ・・・しかし、ここでは「☆」が「+」のようである
 
 7☆2 → 25 ・・・ここまでくると「25=5×5」かな
 
 10☆1 → 81 ・・・すると「81=9×9」らしいので
 
 2☆0 → F ・・・結論として「☆」は「−」でFは(2-0)×=(2-0)で「4」らしい。  
 
少なくとも3年生では考えられないはずだが、どうやら友だちから教わったらしい。
 
それではと、オジサンはもうすぐ4年生になる小学生に、以下の□の中に入る数字を考えなさいと、問題を送った。
 
 1 1 2 □ 5 □ 13・・・・
 
しばらくして、分からないという答えが返ってきた。
 

 
昨日、残り少ない春休みを孫娘は4歳の弟と一緒にオジサンの家に2泊3日の予定でやってきた。
 
早速、先日送った問題を説明するために、御存じのフィボナッチ数と呼ばれる、小学生にはむずかしい数列は理解できないので、具体的な例をあげてみた。 
 
【フィボナッチ数列の各項を一辺部世界のとする正方形】
 
20170316FibonacciBlocks1.jpg
 
20170316FibonacciBlocks.jpg
 
ゆっくりと説明するとかなり興味を持ってきた。
 
そしてもっと驚くことが自然界にあるということでこんな画像も見せた。   
 
ヒマワリの種は螺旋状に並んでおり、螺旋の数を数えていくとフィボナッチ数が現れる。
 
20170316sunflower.jpg 
   
最後に以下の動画を見せると、しばらくは釘付けになって見ていた。
 
【世界を陰で支配する数式 それはフィボナッチ数列】

【Nature by Numbers】


【Fibonacci Sequence in Nature】

 
今後これを機会に数字から数学までに興味を広げれば、来年になったらもっとむずかしい問題を本人が持ってくるのかもしれない、とオジサンは期待している。

posted by 定年オジサン at 12:00| 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

初孫? 内孫? 外孫? 孫には差がない

自分の子どもたちが成長し、独立して親元を離れ、めでたく(?)結婚し最初の子どもが生まれた時、両親は祖父母となり「孫」ができたという。
 
子どもが複数いても、最初に生まれた子を祖父母の立場からすれば「初孫」と呼ぶことが多い。
 
子どもが複数の男の子の場合、長男、次男、三男と序列があるが、その子どもたちが年齢順に結婚して子どもが授かるというわけでもない。
 
得てして次男とか三男とかが早く家を出て、独立し子どもを作る場合もある。
 
かりにそうなれば、親から見れば三男の子が「初孫」になるのだろう。
 
これは生まれた順番だけで決まる呼び名かも知れない。
 
それでは、自分の子どもが長女と長男の場合はどうなのか?
 
戦前の戸籍制度からいえば、直系の孫を内孫といい、結婚して他家の姓を名乗った子ども(普通は、娘)の子を外孫といっていた。
 
当時の戸籍では、女性も嫁に行かない限り、結婚しても長男に限らず、次男以下も戸主の戸籍に入っていたから、内孫という概念があった。
 
ネット上ではこんな意見があった。
 
内孫、外孫という考え方は男系的な考え方です。
現在では二通りの意味があるようです。
元々の意味は、嫡男(長男)の嫡男(長男の長男)が内孫です。
自分の跡取り息子の後を継ぐことになる男性の事です。
この場合の外孫は、嫡孫以外の孫のことです。
そこから発展し息子(男性)の子どもをも内孫と言うようになりました。
娘(女性)は他家に嫁いでからの孫を外孫と言います。
そこで、二通りの意味とは
1.嫡孫のこと
2.息子から生まれた孫のこと
現在一般的な会話では、名字が同じ孫が内孫で、名字が違う孫は外孫という認識だと思います。
 
こんなことは「どうでもいいこと」という人も多い。
 
少なくとも大きな家屋や土地があってその相続人の順位があり、できれば自分の息子(長男)に後を継がせ、さらに孫が男なら安泰という、まさに皇室典範に従っているような生活をしてわけでもなければ、どうでもいいかもしれない。
 
オジサンが現在住んでいる家は父親が40年前に地主から直接畑を買い、造成して家を建てた。
 
その頃は仕事の関係で遠地に長期出張中で、半年後に戻って来た時には新築の家は完成していた。
 
暫くして結婚しそこで生まれた長女も長男も独立し、長女は結婚し出産し2009年に新居に入っている。
 
長男は暫くふらついていて、3年前に結婚し昨年には女の子が生まれ2か月後には、オジサンの家の近所の築1年の家を購入している。
 
その子が生まれて明日1年目を迎える。
 
「元々の意味は、嫡男(長男)の嫡男(長男の長男)が内孫です」に従えば、この孫は内孫とは呼ばれないかもしれないが、少なくとも「息子から生まれた孫」なので内孫と言うことにして、これから息子夫婦の招待で内孫の1歳の誕生日を祝う写真撮影会に出かけることにする。        
 
 
 
posted by 定年オジサン at 09:34| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする