2018年05月20日

人間万事金世中


昔からよく耳にしていた故事成語に「人間万事塞翁が馬」がある。
 
読み方は「にんげんばんじさいおうがうま」と一般の辞書にはでているが、「じんかんばんじさいおうがうま」という読みもあるらしい。
 
これは、昔の中国の元の僧、熙晦機が『淮南子』人間訓の逸話を基にした漢詩、「人間萬事塞翁馬 推枕軒中聽雨眠・・」の冒頭の部分である。
 
簡単な要約を調べてみるとこんな内容である。 
 
ある塞(城塞)のほとりに、老人とその息子とが暮らしていた。
ある日、彼ら親子の馬が突然逃げ出してしまったため、
周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がったが、
当の老人は
「不幸かどうかは果たして分からんよ。
 もしかしたらいいことがあるかもしれない」
と、平然としていた。
間も無く、逃げ出した馬は立派な名馬を連れて戻ってきた。
不幸が転じて幸運となったために
周囲の人々は親子の幸福を感心したが、
老人はやはり平然として
逆にこう言った。
「もしかしたらこれが災いのもとになるかもしれない。」
間も無く、息子がこの馬から落ち
脚が不自由となってしまったため周囲は同情した。
しかし老人はそれを見て
「これが幸福を呼ぶことになるんだ」といい、
一向に動じなかった。
その直後、戦争がおきて、町の若者がほとんど戦死したが、
足を折っていた老人の息子は、そのおかげで命拾いした。
 
つまり、人生というのは何がいいことか、悪いことなのか最後までわからない。
 
幸福や不幸は予想のしようがないということであろう。
 
不幸な出来事が起きても、実はそれは不幸な事ではなく、逆にラッキーの種なのかもしれないという。
 
幸せは不幸という帽子をかぶってやってくる、とも言われているので、逆にラッキーなことがあっても手放しで喜んでいないで次に起こるかもしれないアンラッキーに備えなさいという教訓の諺でもある。
 
どこかの生命保険会社が使いそうな逸話かもしれない。
 
先日、「前進座5月国立劇場公演」として「人間万事金世中」を観劇した。    
 
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「人間万事塞翁が馬」の「馬」の代わりがまさに莫大な「カネ」となった芝居である。
  
『人間万事金世中』の初演は、明治11(1879)年、東京一の大劇場と言われた新富座であるとされる。
 
初演の顔ぶれには当時の大スターである主人公の恵府林之助は明治の三名優の一人五代目尾上菊五郎、『勧進帳』で弁慶と富樫を演じた九代目市川團十郎と初代市川左團次はこの作品では脇に回っているが、林之助と結ばれる娘おくらには明治を代表する女形八代目岩井半四郎そして老け役、敵役を演じさせては並ぶものがないと言われた三代目中村仲蔵が林之助の伯父、強欲非道の辺見勢左衛門に扮している。
 
文明開化がもてはやされたこの時代、「人間万事金世中」のセールスポイントは、1840年にロンドンで初演されたエドワード・ブルワー=リットンの戯曲『マネー』の翻案である事だった。
 
主人公林之助の立身出世譚、おくらとの純愛物語の体裁を取ってはいるが、この芝居の筋を進め行くのは金である。
 
徹底した金の亡者であるという点で辺見勢左衛門とその妻おらん、娘のおしなこそがこの芝居の陰の主役といえるのは、人間誰にも潜む金に対する強欲な本能むき出しという姿である。
 
辺見夫婦は居候だった林之助が亡母の兄の莫大な遺産(2万円:現在の横浜の繁華街で店を構えて商売をすることも思えば、あるいは数億円にものぼる額)を受け取って亡父の店を再興したのを見て、娘を押しかけ嫁入りさせようと企むが、林之助が破産したと聞くとあっさり手のひらを反す。
 
美男の林之助に名残が惜しいかと問われたおしなが「いえいえわたしゃ厭ひませぬ、業平さんでもひょっとこさんでも灯りを消したその時は、別に変りはござんせぬ」と答えるのを聞いて勢左衛門は、「金に惚れるは開化進歩」と娘をほめそやす。
 
まさに初演時どころか現代にも通用する大うけのシーンであった。
 
黙阿弥は作中で登場人物たちに何度も「開化」という言葉を言わせていた。
 
「開化」における「金の世の中」を主題にして、それまでの江戸歌舞伎にはない新しい「現代劇」を黙阿弥は見せようとしたともいえよう。
 
計2幕で8場の2時間半余りがあっという間に過ぎてしまうほどの小気味よいテンポの芝居であった。
 


 
posted by 定年オジサン at 12:00| 神奈川 ☀| Comment(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする