2018年09月18日

午後は「さよなら原発」夜は「安倍晋三のご飯論法」


ことしの春先の「さよなら原発集会」は雪や雨に見舞われたが、昨日の「敬老の日」は、夏日になったにもかかわらず代々木公園内の野外ステージには、多くの老々男女が多数集まった。
 
さようなら原発・安倍政治 全国集会に8000人
 
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以下に会場の様子と渋谷コースデモを簡単に報告。
 
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【うじきつよし / 「明日なき世界」2018.9.17 @代々木公園】
 
 
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【主催者挨拶・鎌田慧】

 
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【主催者挨拶・澤地久枝】
 
【村田弘さんの訴え @9.17さようなら原発全国集会】
 
 
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【原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長・吉原毅】

 
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【閉会の挨拶・落合恵子】
     
 
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ところで、夜には民放テレビ局の番組に自民党総裁選候補者の安倍晋三と石破茂が梯子出演していた。 
 
【報道ステーション】

【TBS NEWS23】 

けっして相手の質問や指摘には真っ向から答えず、かならず論点を外して答えるという術を完全に身に着けている様を見ると、稀代のペテン師なのかもしれない、と一瞬頭をよぎった。

少しでも、これらの映像を見れば、不誠実な態度が視聴者に伝わるかもしれない。
 
もっとも、ペテン師ほどの度量がないため自分に不都合な質問が飛ぶと落ち着きがなく早口になり、一見饒舌なのだが中身のない話を延々とする。
 
テレビ画面で目が泳いでいる安倍晋三を見て、「やはりこの人で大丈夫なのか?」と1人でも多くの国民が危機感を持ってくれれば日本の未来は決して暗くはないかもしれない。
 
さて、既に佳境になってきた沖縄の知事選は相変わらず自公推薦候補援護のデマ、フェイクニュースが飛び交っている。
 
さらには、「沖縄県知事選で創価学会の大幹部が沖縄入り! 盟友の菅官房長官と連携して玉城デニー潰しのステルス作戦を総指揮か」では怪文書がバラ撒かれているという。
 
■小沢一郎、枝野幸男、共産党を攻撃する怪文書バラマキ作戦
 さらに今回もまた怪文書バラマキ作戦が展開されている。この怪文書はカラー刷りで、その視覚的に訴える体裁は、名護市長選や新潟県知事選でばら撒かれた複数の怪文書と瓜二つ。沖縄で出回り始めた怪文書の一つは「守ろう沖縄! 生活の向上を!」と銘打って、黒子の共産党と過激派に挟まれた小沢一郎・自由党共同代表(似顔絵)がイラストで登場、二枚目の解説ページには「いま、沖縄が狙われています」と恐怖感を煽っていた。また小沢氏が民主党政権時代に約140人の国会議員と訪中したことを「中国へ朝貢外交をした」「中国の影響力拡大を狙っているとの声も聞こえます」と指摘。オール沖縄支持(玉城デニー候補支持)を表明した枝野幸男代表についても「国会で過激派との関係が取り沙汰されたことがある人物」と紹介し、「小沢さん、枝野さん、共産党、もちろん過激派も。沖縄の未来にとって有害無益!」と強調していた。
 
こんな卑劣な動きには負けていない玉木デニー候補の動画。
この玉木デニー候補が沖縄の未来を語っていた。
 
<沖縄県知事選 玉城デニー氏「ひとつになって前進すべき」>
 2018年9月18日 日刊ゲンダイ
■辺野古に新基地をつくる理由はもはや存在しない
 ――翁長知事は死去直前、後継者として玉城さんの名を挙げた。音声も残っているとされるが、この話を最初に聞いた時、どう感じましたか。
 本当にびっくりしました。「どうして僕が」という思いでしたが、翁長知事が僕に期待を寄せてくださったなら、非常に光栄であると感じ、出馬を決意しました。   
 ――翁長知事の遺志をどう継承していくのでしょうか。
 翁長知事は4年前の知事選以後、「イデオロギー(思想)よりもアイデンティティー(自分らしさ)」という考え方を重視していた。イデオロギーにこだわり、まるで誰かが沖縄県民を分断させていたかのような政治環境はもうなしにして、皆で腹六分、腹八分で納得し合い、結集。ひとつになって沖縄をしっかり前進させていくこと――これが翁長知事の方針でした。これからの時代は右も左もなく、沖縄が皆、力を合わせて進んでいくことが重要。それが翁長知事の遺志であり、私もしっかりと受け継ぎたいと思っています。
 ――選挙の最大の争点は基地問題。政府は、普天間飛行場の移転先、辺野古の沿岸部の埋め立て工事を強行しようとしましたが、県は埋め立て承認を撤回。政府は今後は、執行停止の法的措置をとる方針です。
 承認の撤回については、公有水面埋立法にのっとった手続きとして正式に行政判断したということ。私はその判断を支持する立場です。翁長知事は戦後70年以上、本土面積のわずか0.5%の面積の沖縄に、米軍専用施設の70%以上がずっと押し付けられたままだと憂慮し、本当にこれでいいのかと訴えてきました。これは沖縄だけの問題ではなく、日本全体の安全保障の問題です。本来なら、国民全体が等しく負うべき負担を、いつまで沖縄に背負わせるのかと政府に問いかけ、国民の皆さんにも理解していただけるよう努力をしたい。
 ――安倍政権はこれまでも、“沖縄イジメ”を繰り返してきた。この4年間で沖縄関連予算は約500億円も削減されました。
 2010年には、沖縄に駐留する海兵隊の多くを、ハワイやグアム、オーストラリアに移動させることを米国が発表しました。つまり、普天間の辺野古移設とは切り離して、海兵隊は外に移っていくということ。辺野古に普天間の代わりの新基地をつくるという根本的な理由がもう存在しないわけです。「辺野古が唯一」という考え方をいったんやめて、米国としっかりと協議するべきですが、安倍政権は「辺野古ありき」。移転の是非をめぐって、沖縄の振興予算を増やしたり減らしたり、政争の具に使っているのです。これが民主主義国家のあるべき姿なのか。予算増減という圧力で、県民の生活に不安と負担をかけることが、本当に法治国家なのかと翁長知事は強く訴えていましたし、私も同感です。
 ――対立候補の佐喜真淳前宜野湾市長は、辺野古移設について言及せず、経済政策を前面に打ち出しています。玉城さんは経済政策について、どう考えているのでしょう。
 経済政策については、既に県庁でさまざまなプランが作られています。実際、この4年間で沖縄経済は、観光産業をはじめとして目覚ましい発展を遂げている。入域観光客は13年の658万人から17年に958万人となり、ハワイの入域観光客を超えました。完全失業率も大きく低下し、就業者数や有効求人倍率も復帰後、最高の値となっています。
 ――とはいえ、沖縄では子供の貧困などが問題視されています。
 さまざまな数値が改善したとはいえ、沖縄では本土に比べ、まだまだ非正規雇用率が高い状況。教育や福祉を充実させて、正規雇用に転換させていくための仕組みを整備することで、改善することは可能です。子供や女性、若者と経済的に厳しい状況にある人たちへのセーフティーネットをつくって、「誰ひとりも取り残していかない」ということを県政運営の柱にし、豊かな沖縄をつくっていきたいと考えています。
幼少期に見た「コザ騒動」は本当に戦争だと思った
 ――玉城さんの生い立ちについて伺います。米国施政下の1959年に生まれ、戦後の沖縄を見つめてきました。
 私の父は沖縄に駐留していた米国人で、母は生まれも育ちも沖縄のウチナーンチュです。私が母のお腹の中にいる時に、父に「本国に帰れ」と通知が来て、当初は母も付いていくつもりだったそうです。出産して落ち着いてから米国に渡ろうと決め、父だけ先に帰ったのですが、僕が1、2歳くらいになってから、母は周りの皆さんと相談。これから米国に渡っても苦労するのではないかと考え、父に「私は沖縄でこの子を育てます。米国には行きません」と自ら連絡したそうです。母はその際、過去を振り返らずに前を向こうと決め、父の写真や手紙も全部燃やしました。僕は思春期の頃に父の話を聞いたことがあるんですが、母は「忘れたから、もういいよ」と一言。前向きな気持ちになりたかったのだろうと思いますね。
 ――バンド活動やラジオパーソナリティーも務めました。
 小さい頃から音楽が好きで、家の近所には米兵が飲みに来るバーがいっぱいあった。24時間営業の店のドアはいつも開いていて、店内からノリノリの音楽が聞こえてくるんですよ。米兵向けのラジオでもいろんな曲が流れていましたから、昔から音楽に触れやすい環境にありました。特にロックが好きで、中学生になると小遣いをためてレコードを買ったり、友達と貸し借りしたりしていました。高校生になってからは他校の友達とバンドを組みボーカルを務め、ロックに没頭した高校生活でしたね。
■キーワードは「新時代沖縄」
 ―――米軍基地に絡んで、沖縄ではさまざまな事件が起きています。
 特に記憶に残っているのが1970年に起きた米軍施設への焼き打ち事件「コザ騒動」で、あれは土曜の夜から日曜の朝にかけてのことでした。現場を見に行ったら、車はひっくり返されて焼けただれ、オイルやタイヤの焦げたにおいが漂っていた。嘉手納基地ゲート前で起こった暴動ですから、本当に戦争じゃないかと思いましたね。非常に衝撃的でした。
  ――米国と沖縄の関係について、どう感じましたか。
 あの時は沖縄は日本ではなかったんですね。米国が治めていると学校で習っていたので、ウチナーンチュが何か言っても、最後は米国が決めるからしょうがないかなという空気がありました。ところが、72年に沖縄が日本に返還された時、「これでやっと日本人になれる」と本気で思い、もう米国の言いなりにならないで済む、というおぼろげな期待がありました。
 ――実際は、期待通りになっていないように見えます。
 復帰以降、不要になった米軍基地は確かにかなりの数が返還されました。しかし、今の嘉手納基地や那覇空港など、基地の運用に必要な場所、機能を維持するための基地は相変わらず残ったままです。戦後73年たった今でも、小さな面積の沖縄に多くの米軍基地が置かれているのは、戦争当時の占領された時の姿のまま。2022年には復帰から50年になりますが、現在でも県民の痛みや苦しみも残されたままです。
 ――県知事選は全国的に注目度が高くなっています。本土の人にどういったことを見せていこうと考えていますか。
 沖縄は地理的に見てアジアの国と非常に近い環境にあるんですね。大胆な経済政策について知ってもらいたいことに加え、やはり辺野古の是非についても注目していただきたい。耐用年数200年といわれる基地をつくって将来世代に負担を背負わせてはいけないと思っています。明確に反対し、皆で一緒に成長していける沖縄を、選挙戦を通じ感じ取っていただけるように、しっかりと訴えていきます。キーワードは「新時代沖縄」です。
▽たまき・でにー 1959年、沖縄県与那城村(現うるま市)生まれ。本名は康裕(やすひろ)。上智社会福祉専門学校卒業後、福祉関係施設の職員、インテリア内装業、音響関係の会社などを経て、地元ラジオのパーソナリティーを務める。02年に沖縄市議選へ出馬し、史上最多得票でトップ当選。09年の衆院選で沖縄3区から初当選後、連続4選を果たした。

 
あれほど安倍政権からイジメられても、「入域観光客は13年の658万人から17年に958万人となり、ハワイの入域観光客を超え」たということは、米軍基地がなければもっと多くの観光資源を有効活用できることになる。
 
日本会議所属の教育勅語がお好きな佐喜真淳前宜野湾市長は、安倍政権にすがって沖縄関連予算を増やそうとしている。
 
これでは沖縄の自立はますます困難となり、「新時代沖縄」を掲げる玉木デニーに大いなる期待をしたい、とオジサンは思う。

     
posted by 定年オジサン at 12:19| 神奈川 ☁| Comment(0) | 安倍晋三 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする