2017年05月24日

共謀罪は立憲主義廃絶への一本道

昨日の衆院本会議では、、自民党・平口洋議員や、公明党・吉田宣弘議員の賛成討論では、イギリスで起こったテロ事件を取り上げ“テロ対策には共謀罪が必要”“共謀罪法案は国際組織犯罪防止条約の締結に不可欠”などと、自民党はさっそくテロ事件を“利用”していた。
 
いくら野党側が反対演説をしたところで、本会議まで来てしまえば数の力で一気に採決されてしまう。
 
共謀罪法案に反対していたメディアのタイトルとわかりやすい説明画像。 
 
 「『共謀罪』衆院通過 自公維など賛成
 
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【東京新聞より】

  
 「クローズアップ2017 『共謀罪』採決強行 治安・人権、折り合わず」 
 
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【毎日新聞より】

 
 「『共謀罪』揺らぐ根拠 説明矛盾、あいまいさ鮮明 必要性・一般人対象か・内心の処罰は
 
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【朝日新聞DIGITALより】

 
参院での審議入りも来週となり、まだまだ廃案の余地は残っているので、「共謀罪法案を廃案にするために役立つ資料庫(チラシ、オススメ記事、反対声明、意見書)*最終追記5月24日」というサイトを活用してほしいものである。
 
さて、国連特別報告者から共謀罪に関して質問状が安倍晋三宛に送られ、それに対しては、安倍晋三を護ることしか頭にない菅義偉官房長官は早速、「菅官房長官、国連特別報告者を『個人』呼ばわり、『質問』に抗議」していた。
 
それに対しては、ただちに反論が届いていた。   

 
 
<「共謀罪」プライバシー置き去り 国連特別報告者「深刻な欠陥ある法案」>
 2017年5月24日 朝刊 東京新聞
20170524kokurenhoukokusya.jpg  プライバシー権に関する国連特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が公開書簡で、「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案に懸念を示したことを巡り、日本政府が火消しに懸命になっている。法案の問題点の核心を突かれ、国会審議に影響が出かねないからだ。ただ、懸念を払拭(ふっしょく)するために丁寧に説明するというよりも、「国連の立場を反映するものではない」(菅義偉(すがよしひで)官房長官)といった切り捨て型の反論が目立つ。 (生島章弘、宮尾幹成)
 ケナタッチ氏は23日、書簡に対する日本政府の抗議を受け「拙速に深刻な欠陥のある法案を押し通すことを正当化することは絶対にできない」とする反論文を公表した。22日には政府の抗議について「中身のない、ただの怒り」「多々挙げた懸念に一つも言及がなかった」と本紙の取材に回答した。
 これに対し、政府も譲る気配はない。野上浩太郎官房副長官は23日の記者会見で、ケナタッチ氏の反論について「速やかに説明する用意があると伝達しているにもかかわらず、一方的に報道機関を通じて『懸念に答えていない』と発表したことは極めて不適切だ」と不快感を示した。
 野上氏は、書簡に明記された法案の問題点に関しては「プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約するなどの指摘は全く当たらない」と重ねて強調。質問には「追って正式に書簡で回答する」と語った。
 ケナタッチ氏は安倍晋三首相に宛てた18日付の公開書簡で、法案に盛り込まれた「計画」や「準備行為」の定義が抽象的なため、恣意(しい)的に適用される恐れがあることや、テロと無関係の罪が対象に含まれていると指摘。プライバシー権侵害を防ぐための措置を回答するよう求めていた。
 日本政府はすぐさま国連人権高等弁務官事務所を通じ、ケナタッチ氏に抗議。菅氏は22日の記者会見で「書簡の内容は明らかに不適切」と批判していた。
 特別報告者は国連人権理事会から任命され、国別、テーマ別に人権侵害の状況を調査し、人権理事会や国連総会への報告書を作成する。報告に法的拘束力はない。国では北朝鮮やシリア、イランなど、テーマでは表現の自由や女性差別、貧困などが調査の対象だ。
 
この件に関しては、NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」伊藤和子弁護士がブログで「共謀罪可決で沸き起こる、強い違和感」と題して、日本政府を厳しく批判していた。
 
 実は日本は昨年、国連人権理事会の理事国選挙に立候補、「国連特別報告者と対話、協力していく」との公約を掲げて、当選し、今や理事国となっています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000175307.pdf
世界に理事国は47か国、世界的に高い人権の水準を国内でも維持することが期待されるポジションです。
世界の人権基準に照らして疑問を呈されたら、真摯に受け止め、立ち止まってしっかり検討し、対話を尽くすべきでしょう。「なんで日本だけ狙い撃ちされるのか? 」などと激怒するのではなく、冷静に対話して世界に範を示すことが求められているわけです。
それが「強く抗議」とはおよそ外部からの批判を受け付けない強権的な姿勢ではないでしょうか。
そして、恣意的濫用の危険がない、と言い張るのも危険です。
権力は誤りうる、だからこそ謙虚に、市民や国連の声に耳を傾けてこそ暴走を抑止する、そうした自制の意識が全く見られません。
 
外務省人権人道課はメディアの取材に「特別報告者との有意義かつ建設的な対話実現のため、今後もしっかりと協力していく」との誓約を国連加盟各国に配布したと認めている。
 
恥ずかしい菅義偉官房長官の抗議であったのである。
 
さて、1966年、東京都立日比谷高等学校に入学するが、高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受け、1968年10月、大学入学資格検定に合格し翌年東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格となり、駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学教養学部文科III類に入学し、1975年3月、同大学文学部仏文科を卒業したという、決してエリート学生ではなかった思想家の内田樹。
 
今朝の東京新聞に「立憲主義廃絶への一本道」と題した文を寄稿していた。
 
独裁政党になりつつある自民党に「半数以上の有権者が賛成し続けている。その理由は誰も説明してくれない」ために私が説明するという、若干、上から目線的な日本人観も垣間見られるが、正鵠を射る部分もあり以下に紹介しておく。
 
【立憲主義廃絶への一本道】
 共謀罪の瑕疵としての審議の異常さについては論をまたない。法案成立後、政府は「隣人を密告するマインド」の養成をすすめるだろう。思想統制は中央集権的に行おうとすれば大変なコストがかかる。国家財政を圧迫しかねず、今の政府にはそれだけの監視コストを担う覚悟はないだろうから、「市民が市民を監視し市民が隣人を密告する」システムを作り出そうとするだろう。
 私が特に興味を持つのは、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪を経由してやがて改憲に至る道である。これは間違いなく立憲デモクラシーの廃絶と一党独裁をめざす一本道なのだが、なぜか「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半数以上の有権者が賛成し続けている。その理由は誰も説明してくれない
 18世紀からの近代市民社会の歴史は、個人権利を広く認め、国家の介入を制限する方向で進化してきた。にもかかわらず、私権を制限され、警察の監視下に置かれるリスクを当の市民たちが進んで受け入れると言っているのである。「彼らは理性を失っている」というのが一番簡単な答えだが、そんなことを言っても始まらない。人が理性を失う時でも主観的には合理的な理由がある。
  それは「国民は主権者ではない」ということの方が多くの日本人にとってはリアルだということである。戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがない。家庭でも、学校でも、部活でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいた。
 それは上位者の指示に唯々諾々と従う者の前にしかキャリアパスが開けない世界だった。その意味では、現代日本人は生まれてから一度も「民主的な制度」の中に身を置いた経験がない。だから、私たちが「立憲デモクラシーなどというのは空語だ」と思ってしまうのは経験知に照らせば当然なのである。
 日本人にはそもそも「主権者である」という実感がない。だから、「国民主権を放棄する」ことも特段の痛みを感じない。現に、企業労働者たちは会社の経営方針の適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。
 それは「上」が決めることだ。それでも平気でいられるのは、経営者のさらに上には「マーケット」があり、経営者の適否を過つことなく判断してくれると彼らが信じているからである。「マーケットは間違えない」。これはビジネスマンの信仰箇条である。売り上げが減り、株価が下がれば、どのような独裁的経営者もたちまちその座を追われる。
 それと同じシステムが国レベルでも存在する。日本の統治者のさらに上には米国がいる。米国の国益を損ない、不興を買った統治者はただちに「日本の支配者」の座を追われる。これは72年前から一度も変わったことがない日本の常識である。統治者の適否の判断において「米国は決して間違えない」という信ぴょうは多くの日本人に深く身体化している。それがおのれの基本的人権の放棄に同意する人たちが最後にすがりついている「合理的」根拠なのである。
 
「戦後生まれの日本人は生まれてから一度も『主権者』であったことがない」どころか、400年以上も前から日本の国民は常に「お上」に逆らわず従うことを強いられてきた歴史がある。
 
それが延々と続いて、「家庭でも、学校でも、部活でも」、「常に上意下達の非民主的組織の中にいた」ことは確かである。
 
しかし、1975年12月、合気道自由が丘道場に入門し多田宏に師事し、1977年1月、弱冠27歳で翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を設立し、取締役になった内田樹は残念ながらサラリーマン生活を経験していないようである。
 
「企業労働者たちは会社の経営方針の適否について発言する必要がないと思い込む」と断定することは、労働組合を作り、「会社の経営方針の適否について発言」し闘ってきた企業労働者に対してはかなり無神経なことと言わざるを得ない。
 
ただ、国レベルで、「日本の統治者のさらに上には米国がいる。米国の国益を損ない、不興を買った統治者はただちに『日本の支配者』の座を追われる」ということは歴史が見事に語っている。
 
いまや、「さらに上」の米国の統治者が危うい立場になっている現状を鑑みれば、日本の国益を損なうような統治者は、日本人の手でその座から追いださねばならない、とオジサンは思う。

posted by 定年オジサン at 12:22| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 共謀罪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする